勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2009年02月

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写真:MNAC蔵、聖母マリアの事跡「Frontal de San Martí de Aviá」【Urgell工房】
105x175cm、テンペラ、13世紀初頭   


 イスパニア・ロマネスク美術時代には、「板絵」が聖堂の内陣特に祭壇前に設置され、信者に対し教育的題材を描き、礼拝時に目の前で見せることによって信仰心を高めました。文盲の人が多かったので、ひとつの演出でしょう。

 これまで断片的に、個別例で板絵Pintura sobre Tabla【祭壇前飾りAntipendio o Frontal de Altar】の具体例を取り上げたことがあると思いますが、ここでその概念をまとめると、

・板絵の存在場所は圧倒的にカタルーニャで、恐らく100以上ある。

・題材は中心に主として「キリスト」、「聖母マリア」、「聖人たち」、側面には「使徒たち」、「預言者」、物語性をもつ「キリストの生涯」、「聖母マリアの生涯」、「殉教者たちの苦悩の情景」、「民間伝承」などが描かれた。

・彩色は鮮明で、色濃く生々しく描かれ、表現的で縁取りは黒線で太い。西欧で最も特異な色彩であった。

・技術的には、まず石膏を表面に塗り、その上から麻布や羊皮を張る。この上に化粧漆喰を塗り、図像的な決まりに拘泥せず自由単純に描かれた。卵白を用いたテンペラ画法で単純に描かれた。

・様式は、壁画を忠実に反映し、写本挿絵の筆致手法を踏襲した。

・絵師たちは通常季節移動職人であった。

・カタルーニャの主たる工房は、Ripoll工房(古典絵画に準拠)、Urgell工房(古拙で厳格に殉教者の苦悩を描く)、またVic工房(写本挿絵に準じた用法を得意)。

 上記は、F.de Olaguer-Feliu『El Arte Románico Español」Encuentro Ediciones,2003を参考にしました。この本は4年前、マドリッドGran VíaのCasa de Libro書店で目にとまり、帰りのフライトで夢中で読みましたが、視点は中立的で無理がなく、イスパニア・ロマネスク美術入門書です。拙著『イスパニア・ロマネスク美術』の構成を考えていたときに、示唆に富み参考になりました。

 前にも少し触れたことがありますが、このイスパニアの「板絵Frontal」の分野は、私の知る限りこれまで日本では体系的に研究された形跡がありません。

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写真 : Sant Pere修道院教会 cKKT

 カタルーニャの北方Besalúは中世では伯爵領の中心で由緒ある重要な拠点でした。ここにある1003年聖別されたSant Pere修道院教会の正面壁上部に、上記のごとき豪華な窓が開口しています。イスパニアではRosellón工房の彫刻家の作であるといわれています。こういった窓にいくつかの支柱で支えられたアーキボルトを配し、奥行きのある重厚な窓の下部に、悪魔を組み敷きまた弱者を守る対称的な二匹のライオンを配す様式は明らかにローマ風です。ガリアのカロリング朝の支配を受けた時期もありましたが、これはそうではなく正しくローマ美術の名残といえます。

 中間に縄状の支柱・アーキボルトがありますが、これは恐らくゲルマン様式で、天に昇る象徴です(プレロマネスク・アストゥリアス美術の宝庫であるナランコ山のサンタ・マリア殿堂にも同じ様式の柱が存在します。)それにしても多様な美術様式が混在しています。聖堂は単廊式で祭室をめぐる周歩廊をもち、1003年聖別されました。もともとは修道院が発端(現在は聖堂部分のみ残存)でした。頭部に周歩廊をもつほどの賑わいを見せていた良き日々の繁栄を偲び、何がこの村をこんなに侘しいものにしてしまったのか、そのわけも知らずビックに向けて発ってしまいました。栄枯盛衰は世のならい、俗界ではわからぬ闇の部分があったのかもしれません。

 これと同様な古代スタイルのものが、Sant Pere de Rodes修道院(カタルーニャの東北、地中海に面して建造、11世紀初頭のマッス性豊かな初期ロマネスク様式の典型)にもあります。

 2007年10月にここを訪れましたが、町の中心にあって秋の斜めのにぶい陽光で半分陰になった広場の一角にあるカフェテリアの外に無造作に置かれたテーブルに座り、この教会を左手に眺めながら遅めの昼食をとりました。その時のビフテキが草履の裏のように固かったことを昨日のように思い出します。ボーイの態度もおざなりで、いわゆるsimpáticoでなく、ここはあまり印象がよくありませんでした。でも今の死んだような活気のない村でも、ロマネスクの一部遺産だけは在りし日の由緒ある姿をとどめ、素晴らしいものでした。村の両側に川が流れ、ローマ時代の橋が架かり、今でもそのままの姿をとどめていました。

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写真: ハカ司教座美術館「公現」
San Fluctuoso de Bierge,Huesca「聖母」



 Rudorf Steiner著『Uber das wesen der Farben色彩の本質』(高橋巌訳、イザラ書房、1994年)は示唆に富む書です。私はイスパニア・ロマネスク絵画が12世紀頃、西欧で最高の地位を占めていた事実から、その原因を知りたいと思っていました。

 結論的に言えば、「技法」もさることながら、結局「色彩」であると思うようになりました。
シュタイナーによれは、色彩の中には何らかの「像」(形象-この語は私の注釈))があるとして、

「緑」       生が輝き死の影を投げる像
「桃色」      魂が輝き生が影を投げる像
「白又は光」    霊が輝き魂が影を投げる像
「黒」       死が輝き霊が影を投げる像

を表していると述べています。色彩はどんな場合でも現実的なものでなく、像なのだといっているのですが、なかなか抽象的で難解です。彼の色彩の背後に潜む像=形象を私なりに少しこじつけてみましょう:

 私はここで問題にしようとする「灰色」は黒と白の混合色であり、それぞれの配合によって明暗が出ますが、フランコ・ロマネスク壁画の「灰色」はどちらかといえば薄い感じですから反射率80%前後となるでしょうか。

 もしかれのいうごとく、「死が輝くときは黒の像を示唆し、霊が影を投げかけるときもまた黒色の像となる。逆に霊が輝くときは白色の像となり魂が影を投げかけるときもまた白色の像になる」とすれば、問題の「灰色」は白と黒を混ぜ合わせたものですから「死と霊があるときは輝き、またあるときは霊と魂が忍び寄る」(投げかける=忍び寄る)という意味合いになり、究極的には「灰色は霊的な死後の世界を象徴する色」ではないかと思料されます。

 いずれにせよ、現今は「灰色の人生」とか「灰色の心」といった表現となり、なんとなく憂鬱な感じを与える色です。実はこの灰色が黄、薄緑、青、褐色、薄赤などとともに淡いフランコ・ロマネスクの色彩として、12世紀に建造されたサンティアゴ巡礼路周辺の聖堂・修道院や霊廟などに壁画素材として多用されました。そして「灰色」は色彩的には「霊化」するのに極めて適当なものといえるのではないでしょうか。ただ敢えていえば、「灰色」は「薄い青色の劣化した色」と混同しやすいのでこれも広義の灰色と看做しておきます。

 これらの色の素材は比較的安価なものですから、群生する宗教施設の壁画材料としてつかわれたという面もあります。

 ロマネスク絵画は古代ローマやビザンチン絵画のように背景に自然を挿入することは殆どせず、三次元立体的描写手法も一切とらず、灰色、青(内に向かって収斂的)、黄(外に向かって拡散的)などそれぞれ一色でもって背景として、自然を霊化してしまう手法を取りました。
イスパニア・ロマネスク絵画を、このような視点でも観たらいかがでしょうか。


[参考]
カタルーニャでは巡礼路様式に先んじて世界的な名声を博したTaullのSant Climentの「Pantocrator座せる全能の神キリスト」やSanta Maríaの「聖母」(いずれもMNAC蔵)に見られる「青色」見事な色という他なく、収斂的に像を空中に浮遊させる効果をもっています。ただ様式的にはビザンチンの影響を受けています。


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                 加山又造 屏風絵「牡丹」


 現在、国立新美術館で開催中の「加山又造展」に行ってきました。案に違わず、それはそれは優雅で、耽美的で装飾的でもあり、春の宵に彷徨うようなエロチシズムも感じられ、深い満足感を覚えました。最近読み返している谷崎か川端の作品とも重なりました。

 この主題の絵葉書、クリアファイル、特製切手などを買いこんできたので、それらを机上に置いて横目で眺めながらこの一文を書いています。

 日経新聞の2月11日付け文化欄<革新の美>に、日本画家の中島千波さんが一文を寄せておられます。その一部を引用させていただくと「黒と白のボタンを左右に配した屏風絵“牡丹”である。金地にわざわざめでたくもない黒い花なんて描いてどうする。普通ならそう考えるだろう。加山さんは黒と白という究極の対立を一つの画面に封じ込め、逆に均整の取れたパターンとしての美を浮き上がらせた。」

 私のごときイスパニア・ロマネスク美術を好きな人間からみると、加山又造のこの屏風のモチーフは、西欧12世紀のロマネスク美術の手法である「対立の美学」という概念がそのまま当てはまるようです。また私が時々講演などで「色彩の弁証法」と呼んでいる手法でもあります。

 具体的にいえばテーマは異なるものの、バルセロナのMNACに蔵されている「座せる全能の神Pantocrator」(TaullのSant Climent教会より移管)の「寒色と暖色の配置」手法、あるいはまたシロスのサント・ドミンゴ大修道院回廊の柱頭彫刻「聖なる作品と醜悪な怪物の共存」の聖美と醜美の対立概念をジンテーゼsíntesisし、究極の存在へと上昇気流に乗せる、といった弁証法的手法と同じです。ロマネスク美術の場合は宗教美術ですから究極的には見えざる存在へ近づけるのですが。

 古今東西を問わず、優れた美術の一つの手法はこういうことでしょう。


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写真 : ウエルガスの修道院


 前回のブログの続きで、イスパニアの様子が少し判明したので、以下に記載します:-

 Arteguiasの情報によれば、「ロマネスクのステンドグラス」に関するイスパニアにおける研究はこれまで詳細になされておらず、未知の箇所が多いという印象です。

 一般的には、ロマネスク建築は分厚く硬く詰まったマッス性をもつ壁grueso y compactoが特徴で、結果として窓のサイズは後のゴシックのものと比べ、相対的に小さくなるのは加圧の大きさからみて当然です。その下部に短い支柱で支えられたアーチがあるといった構図です。

 ステンドグラスはドイツのベネディクト派の修道士Theophilusgaが12世紀初頭に聖書の情景を主として、装飾性、象徴性、教育的で宣教的な意図で、制作した中心的人物であったということです。

 壁の開口部【窓】の閉鎖cerramiento、型に嵌めestereotipado、抽象的かつ単純化して制作されました。人像は正面を向いた2次元表現が徹底されています。

 全体の構成としては、

 .瓮瀬ぅ茱鵝扮澤創函砲涼罎卜鮖謀情景を挿入
◆|影箸蚤腓い人像
 窓全体を隙間なく情景で埋める(採光を制限)
ぁヾ?審慳詫諭▲皀競ぅ様式、縁取りは植物模様
(シトー派はグリザイユ・ステンドグラスを用い、色彩は希薄で人像は不挿入)

 <イスパニア・ロマネスクのステンドグラス>
 イスパニアにおいては、他の西欧諸国に比べ、この分野の独自性はほとんどありません。また研究も未だしの感があり、恐らくロマネスク時代にはほとんど見られません。ただゴシックへの移行期である12世紀末~13世紀前半頃に次の3作品が確認されていますが、その他は未詳です:

・ Martirio de San Lorenzo o San Vicente
1200年頃、カタルーニャ(所在場所不明)

・ Monasterio de Las Huelgas, Burgos
祭室Sala Capitularに3枚(聖ペテロ、聖パウロ、聖ヨハネ)
1200年頃、現物残存

・ Monestir de Santes Creus, Tarragona
シトー派唯一の残存物、20枚のガラス、13世紀最初の30年間に制作、鉛枠、
  幾何学花模様、グリザイユ仕上げ


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写真 : アウグスブルグ大聖堂、預言者たち、1100年頃、『ロマネスクのステンドグラス』岩波書店


 これまでイスパニア・ロマネスク美術について学んできましたが、「ステンドグラス」のジャンルについてはお恥ずかしい話ですが、まったく念頭にありませんでした。ロマネスク時代の聖堂における内部の暗さは必要条件です。従ってステンドグラスのもつ光の映えは対立概念となり矛盾する、と勝手に決め付けていた嫌いがあります。そしてそれはゴシック造形概念にこそふさわしいものだと思い込んでいました。

 Loui Grodecki著『ロマネスクのステンドグラスLe Vitrail Roman』黒江光彦訳、岩波書店、1987年、を目の前で見たときは聊か驚きまた感動しました。この書はフランスやドイツの題材を主として取り上げたもので、やや読みにくい嫌いがあります。我慢して読み進んでいくうちに、ふと11~13世紀初頭頃のイスパニアの大聖堂やロマネスク聖堂においても当然在り得るのではないかと思いました。しからばそれらはどのような所にどのような特徴、「彩り」をもって存在しているのでしょうか。

 ガラス自体は西暦前3000~2000年頃から存在していたらしいですが、ステンドグラスとして加工されロマネスク聖堂に用いられたのは、同書によればカロリング朝の後、カペー王朝が台頭する1000年頃と見做され、オットー朝の頃が最盛期だということです。当然その影響がカタルーニャに最初に及んだと想定されます。また当時はイスラムの技術が西欧を凌駕していたと思われるので、きっとアフリカ経由で11世紀に入ってきていることも考えられます。

 結局5月に訪れたときに、解明したいと思っていますが、私の勘ではおそらく13世紀前半に着工されたゴシック大聖堂において、ひょっとしたら一部に挿入されているのではないか、また幸運に恵まれたとしたら、ロマネスク時代(11~12世紀)には何らかのロマネスク的痕跡があるのではないかと憶測しています。あるいはゴシック美術への移行期である1200~1250年頃に歴然とどこかに存在するのかもしれません。

 イスパニアの中世では鉄製の格子や鍛造の飾りの技術は勝れていたので、ガラスを固定する枠の造作に関してはまったく問題なかったと思います。ただステンドグラスは目線よりずっと高い位置にありますから、具体的に検証するのに困難が伴うことでしょう。しかしステンドグラスの造作にはその点を考慮した様々の工夫がなされているので、グリザイユの塗膜の剥脱の箇所(もし修復されていないとすれば)とか太い縁取りの線を双眼鏡で確認して、ロマネスク絵画の一般的特徴を備えている要素などを重ね合わせて判断したいと考えています。それも、もしあればということです。

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写真「シロス写本」 『El Romanico en Silos』
  「サンティアゴ大聖堂・栄光の門、中方立」 cKKT


パソコンに突然不具合が生じ、暫く中断しました。今回から個別のテーマを取り上げます:
         #############

 キリスト教の原義「三位一体」の情景をイスパニア・ロマネスク美術では、聖霊(鳩が象徴)が最上部に、父なる神の胸に抱かれて幼いイエスとの二体があたかも一体化しているように図像化されている場面が、「写本」、「エッサイの樹」の彫刻などに現れます。

 これらはイスパニア語で「Paternitas」と固有名詞化されています。“父性”とでも言っておきましょう。また学者(コロンビア大学のElizabeth Valdez del Alamo博士の論文『Visiones y Profesía:El Arbol de Jesé en el Claustro de Silos幻想と予言:シロス回廊のエッサイの樹』 )を読むと、父なる神がわが子を抱く描写は、西欧ではイスパニアの11~12世紀の彫刻で初めて図像化され、それは最初シロスのサント・ドミンゴ大修道院回廊のパネル「エッサイの樹」(下の写真)に彫られたと記されています。また同修道院の写本にも取り入れられているので、ここに後者の写真を『El Románico en Silos, Maior Iシロスのロマネスク美術第一巻』から転載しますが、モノクロミーなので、原本はどのような色彩で描かれているのか不詳です。

 他の地でなく、なぜイスパニアのロマネスク彫刻で「Paternitas」が最初に現出したのでしょうか。私の想像にすぎませんが、おそらくシロスの彫刻家がビザンチン美術から何らかの先例を取り入れたのではないかと思います。

 次の場所にもこの構図が残っています:
*La Catedral de Santiago de Compostela 「栄光の門Pórtico de la Gloria・中方立Parteluz」
*Santo Domingo de Soria 「正面玄関Portada」
*San Nicolás de Bari, Tudela

 イスパニアでは当時、「三位一体」の原義を特に信仰の中心に据えていたため、上記の如くサンティアゴ大聖堂の西正面にも取り入れられていることから見ても、格別の意識をもって聖母子像とともに重要視されたのです。

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写真:シロスの外観と平面図


 西洋美術の本を読むと、よく「モニュメント」という言葉に出会います。この言葉はいったい何を意味するのでしょうか。

 我々は普通、歴史的・芸術的価値を有する建造物を「モニュメント」(イスパニア語ではmonumento)といっていますが、ロマネスク様式やゴシック様式の大聖堂や大修道院もそうです。いわゆる空間を囲う規模escalaをもつ建物と、空間を占める彫刻・壁画の総合的統一体のことをいうのです。

 芸術論では一般論ですが【ある藝術の形の完璧さは他の藝術の形の完璧さと両立し得ない】、つまり美術の場合でいえば、個別的要素は夫々別個の材料、別個の過程、別個の主観・感性によって決定されるからだといわれています。ロマネスク美術時代11~12世紀頃の建築と彫刻もこの意味では個別の要素であって、それ自体独自の完璧さはなく、極端にいえばそれは完璧さを求めるために相容れない対立概念が統一され、モニュメントとなり初めて価値が定まる、という弁証法的な止揚方法をとります。

 以前の記述でイスパニア・ロマネスク美術の典型例として、シロスの大修道院、つまり一つのモニュメントの回廊での彫刻の処理の仕方に触れ、建築との共存のことについて書きましたが、あのパネルの浮彫りは「高浮彫りrelieve hundido」の方が彫刻として、その独自性と完成度がより高いはずであったにもかかわらず、それを非自然主義的な「浅浮彫りrelieve llano」として上記の「統一」をさらに完璧なものにするという彫刻の独自性を薄めた工夫(ロマネスク美術に固有のもの)がなされたものと、私は解釈しています。だからこそ大修道院としてより高度に綜合化され、結果として美術要素の統一がなされたためにモニュメントといえるのだと考えています。

 ロマネスク美術においては、優れた彫刻物及び絵画自体の「崇高な宗教的仮象のもつ奥深い精神性」が卓越しているからこそ、さらに造形美に磨きがかかるといったモニュメント性との相乗効果が考えられます。


追記:イスパニア・ロマネスク美術の基本的なテーマに関する記述が6回も続きましたので、次回から暫く個別のテーマへと筆を進めていきたいと思います。

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写真:Frontal de Cardet(MNAC)


 イスパニア・ロマネスク絵画、この時代には一部の情景を切り取って一定の枠に収める「額縁」*という人工的な概念は存在せず、おおらかに描かれた壁画や板絵retabloが当時の西欧絵画の形式として最も光彩を放っていました。ここでその手法というか、たとえば自然空間をどのように処理したか、その基本的な考え方を理解することは、重要だと思います。

* 「額縁」に関して、Georg Jimmel著(北川東子編訳)『ジンメル・コレクション』ちくま学術文庫、2007、の小論文『額縁―ひとつの美学的試み】が啓蒙的です。


 キリスト教絵画においては超自然を視覚化しようとして、人間や自然界の形態を聖化してしまい、非物質化してしまいます。古代ローマ美術及びその復活であるルネッサンス美術では、人間を描く場合に好んで室内や野外の風景を背景に配して、空間に感性(視覚)に映ずる自然を配したり、情景に奥行きをもたせるようにしています。
 ところが中世、特にロマネスク美術が西欧を一色に染め上げる11~12世紀では、空間の現実性を排除して、空間は物質空間から霊的空間へと変質させてしまいます。したがって絵の背景としての自然の風景が描かれることはまずありません。そこには地面もなく、重力の法則もなく、奥行きもなく、背景を抽象化してしまい、人物は絶対空間に浮遊するかのように描かれます。したがって空間は二次元化され、自然空間において前後に配置されるものは左右ないし上下に配置されます(一例として、上にあげた祭壇板絵を参照)。

 このように現実の三次元の世界の表現が分解されて二次元に再生されるという手法は、20世紀のいわゆるブラックやピカソのCubism手法といわれるものに伝わったのでないかと容易に推測されます。先にブログに載せたArtaizの重層三面人像もそうですが、イスパニア・ロマネスク彫刻の現代絵画への影響が先端的に伝わったことがわかります。

 こういった霊的で聖なる空間(時間と霊の世界を四次元空間ともいう)は、ビザンチン美術では色彩を駆使してこれを表します(例えば黄金色)。イスパニア・ロマネスク絵画特にカタルーニャ地方においては、ビザンチンの影響も受けていますが、そこには独自な重厚な深みをもった彩色(青、赤、緑、黄色など)が施されます。殊にSan Climentの「座せる全能の神キリストPantocrator」(MNAC蔵)の「青色」は、イスパニアにおいて、ここにしか見られない引き込まれるような収斂的な青さといえましょう。一方マンドルラからはみ出すような描写手法もさりながら、キリストが天空に浮かんでいるように見える効果を現出しています。この「青色」はこのタウイの壁画独自のものです。

 またサンティアゴ巡礼路周辺では、いわゆる穏やかで静謐な精神性の感じられるフランコ・ロマネスク色-淡い黄土色、灰色、褐色などが空間を埋めます。いずれにせよ、イスパニア・ロマネスク絵画の色使いは、その基本的な思考において、比較的単純だと感じます。


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