前回に引き続き、今度は違った角度から見てみることにします。
彫刻師の遊びなのか、とにかくスペインの田舎のロマネスク彫刻(軒持ち送り、柱頭、メトープなど)には理解ができないものが多い。一体どういった趣向なのか、首をひねってどちらから見てもさっぱり分らない。
彫刻師の遊びなのか、とにかくスペインの田舎のロマネスク彫刻(軒持ち送り、柱頭、メトープなど)には理解ができないものが多い。一体どういった趣向なのか、首をひねってどちらから見てもさっぱり分らない。
ここに三つの例を挙げましょう、写真の上二つは12世紀のもの:
・一つはブルゴスのButrera(Burgaleza de los Merindades)村にあるNuestra Señora de Antigua教会の主祭室の外窓一杯に彫られた顔面
・次はサラゴサとブルゴスとの中間地Unx村にあるSan Martín教会の地下祭室の柱頭の顔面
・柱身に挿入された顔、出所不詳(フランス?)(写真)
・次はサラゴサとブルゴスとの中間地Unx村にあるSan Martín教会の地下祭室の柱頭の顔面
・柱身に挿入された顔、出所不詳(フランス?)(写真)
スペイン人のロマネスク美術研究家が、こういった顔相のことを“inquietud provocada誘発された不安”と表現していますが、この言い方はなかなかセンスがあります。
当然何かを顕しているのだとは思いますが、もしそれが「不安」だとすればその元凶は一体何なのでしょうか。おそらく上部階層の人たちにとっては黙示録的終末への不安や死後の不安であり、農民たちにとっては生への不安といったものではなかったでしょうか。そういったものが反映されているのでしょう。
ムンクの「叫び」に現れる現代人の“文明への不安、怯え”、また芥川のいう“ぼんやりとした不安”=精神が崩壊する怯えとはロマネスク時代のそれは質的に異なったものですが、それにしてもロマネスク美術の難解さは底が深いものがあり、だからこそ究める値打ちがあるということでしょう。