勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2010年03月

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 前回に引き続き、今度は違った角度から見てみることにします。
彫刻師の遊びなのか、とにかくスペインの田舎のロマネスク彫刻(軒持ち送り、柱頭、メトープなど)には理解ができないものが多い。一体どういった趣向なのか、首をひねってどちらから見てもさっぱり分らない。


 ここに三つの例を挙げましょう、写真の上二つは12世紀のもの:

・一つはブルゴスのButrera(Burgaleza de los Merindades)村にあるNuestra Señora de Antigua教会の主祭室の外窓一杯に彫られた顔面
・次はサラゴサとブルゴスとの中間地Unx村にあるSan Martín教会の地下祭室の柱頭の顔面
・柱身に挿入された顔、出所不詳(フランス?)(写真)


 スペイン人のロマネスク美術研究家が、こういった顔相のことを“inquietud provocada誘発された不安”と表現していますが、この言い方はなかなかセンスがあります。

 当然何かを顕しているのだとは思いますが、もしそれが「不安」だとすればその元凶は一体何なのでしょうか。おそらく上部階層の人たちにとっては黙示録的終末への不安や死後の不安であり、農民たちにとっては生への不安といったものではなかったでしょうか。そういったものが反映されているのでしょう。


 ムンクの「叫び」に現れる現代人の“文明への不安、怯え”、また芥川のいう“ぼんやりとした不安”=精神が崩壊する怯えとはロマネスク時代のそれは質的に異なったものですが、それにしてもロマネスク美術の難解さは底が深いものがあり、だからこそ究める値打ちがあるということでしょう。

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写真:San Martín de Tours   ckkt


 スペイン・ロマネスク聖堂の外側にある軒(庇)を取り巻くように、「持ち送りcanecillo」(軒支えmetopaを含む)がありますが、そこには種々雑多な彫刻物が、いわゆる軒を連ねるように一定の間隔で並んでいるのがよく目につきます。言い換えれば人々の目に付きやすいところにわざわざ置いているのです。当時の都市(町)の中心部では時たま見かける程度ですが、少し郊外や田舎の村々の小聖堂ないし礼拝堂には往々にして見られる原風景です。


 つまりこの時代の人口構成は、王侯貴族は全人口の3~4%程度また聖職者・修道士は2%程度で、残りの大多数90%以上が農民・農奴でしたから、殆どが教育を受けたこともない無智文盲の人たちが占めていました。こういった世情に先ず留意しなければなりません。キリスト教の聖職者たちはこのような下層の農民たちにキリスト教の教えを説くときには、ある程度大袈裟に、持ち送りのような人目のつくところに、眼に見える形で示したのです。そこには先ず、かれらが“してはいけないこと”を明確に教育する必要性がありました。


 ここでキリスト教が言う「七つの大罪」が登場します:

カシアヌス著『共住修道院掟則』によると八つとなっていて、
(1) 「大食gula」      
(2) 「邪淫luxuria」☆
(3) 「貪欲avaritia」☆     
(4) 「憤怒ira」☆
(5) 「悲しみtristitia」☆
(6) 「怠惰acedia」
(7) 「嫉妬invidia」
(8) 「傲慢superbia」


    註:ラテン語。星印が聖堂などの持ち送りに彫刻物として現れることが多い。
      また8番目の「傲慢」は神の全能なることに刃向かう大罪として付け加えられた。


    参考:逆にカロリング朝時代は、キリスト教徒として、社会的上層部であった王侯貴族、
       聖職者・修道士たちには七つの徳が、希求されました:
       信仰、希望、愛、賢明、剛毅、節制、正義がそれです。

      
 次回は、特殊な具体例をいくつか見たいと思っています。

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写真:「キリスト坐像」アンジェの写本,同図書館蔵、11世紀(『ロマネスク美術を索めて』より)

 吉川逸冶先生は、1933年パリ大学に留学し、美術史の博士号を取得されて東京大学を振り出しにいろいろな大学で教授をされ、その間主としてロマネスク美術(とくにフランス中心)に関する書物や多くの論文を発表されてこられた、日本におけるロマネスク研究者の草分け的存在です。

 『ロマネスク美術を索めて』美術出版社(S54刊行)を古書で求め、最初に読んだのは5年ほど前だったと記憶しています。そのときも独特な語り口で魅力を感じましたが、再び頁をくって拾い読みしていますと、自分のここ数年でのロマネスク美術に対する感受性が敏感になったのか、活字が突き刺さるように目に飛び込んでくる感じです。時の経過を忘却すると、思わぬ得をすることもあるものです。


 最初の方で、例えば絵画についてこんな記述があります:

<ロマネスクの美術は、重厚な、あるひは粗野なものだが、やうやく乱世も治まって安定しはじめた11世紀の封建社会の若い情熱に満ちたもので、また技術の習得に至らず、様式の洗練から観察の自由までは到達していないと教えられた言葉の通りだし、乱世を治め、スペインへの巡礼と戦争にのり出す僧俗ともに行動の情熱に溢れた叙事詩的な時代だから、聖者伝を迎え、旧約の史伝からことに黙示録の予言的歴史に熱中するという。-中略-。 原始絵画のやうに、二次元の壁面を尊重し、そこに顔料を平らに塗りながら、色彩効果を発揮するやうに配色し、線で強く形をかこみ、細部を簡略化しながら記すかどうか。ロマネスク絵画は、プリミティーブの原則のなかに、古代古典様式を変形させながら伝承している。>

 旧仮名づかいや、時代を感じさせられる語調に、ロマネスクとの素朴な同化を感じさせます。同時に時代感覚や手法が如実にとらえられています。

 同書には、ユリウス・ランゲの翻訳論文『人間像の表現における“正面性”の法則について』が最後の方に収録されていますが、私にとりなかなか啓蒙的な内容でした。


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    拙著『イスパニア・ロマネスク美術』および『神の美術』は、
  三省堂書店 神保町本店・1階の新刊ブースと4階 アート・コーナーにおいて
  取り扱われています。
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写真:ギリシャ建築例:オリンピアのゼウス神殿、『芸術形式の起源』より
  Roda de Isabena大聖堂 cKKT


 今回は少しややこしいですが、中世の建築物を研究する上の基本的なことなので、あえて一文をよせます:

 この頃、一体ゴシック大聖堂の建築物をどういうふうに考えたらよいのかとぼんやり考えていました。それは時代的要請にしたがって高さと巨大空間を求め、またより光(神)を求めるといったことや、耐久性と耐火性といった石のもつ量塊としての一般的特性ではなく、中世世界において造形的にまた美学的に、「建築素材として石をふんだんに用いたのは、なんか本質的な意図があったのではないか」ということです。しかし結論としては「建築における素材としての石の効用」は、西欧中世においては物理的要素だけで、本質的な芸術意図(美的効用)をもたないということです。その判断の資料として、


【1】 リード『芸術形式の起源』(瀬戸慶久訳、1965)
(Herbert Read“The Origin of Form in Art”)

 この第三章「造形美術における形式の起源」で、上記の私の疑問が扱われていました。

 私はスペイン・ロマネスク美術研究するものとして、ロマネスク時代の後に来るゴシック時代が、発想は別としてもロマネスク建築形式を基本的には引き継いでいると思っています。しかしその元はといえばギリシャやローマ建築の影響を直接・間接的に受けていることも事実としてよく認識しています。

 では上記の著者の見解を今少し引用してみましょう:

《ギリシャ建築とゴシック建築を真に区別するものは、知的なものでもなければ、また材料の違いでもない。》


 また彼はWilhelm Worringerの『Form in Gothic』(1927) を引用して、

《ギリシャの建築家は、石という材料を使って美感に訴えようとしたから、したがって、材料を単にそのものとして表現した。しかるに、ゴシックの建築家は、石に対して、純粋に精神的な表現としたい、つまり石から離れて芸術的に扱おうとする構成意図をもっていたから、石はこの意図を実現するための外的で従順な手段にすぎなかったのである。こうして、そこでは石が実際的な役割しかもたず、芸術的な役割をもたないという抽象的な構造方式になるのである。さらに明瞭な点は、「ギリシャ建築は応用構造であり、ゴシック建築は純粋構造であるということだ、前者の場合の構造要素は、実際的な目的のための手段にすぎないが、後者では、構造要素が目的そのものである。なぜなら、それは表現の芸術的意図と一致するからである。」...中略...したがってギリシャの神殿よりもゴシックの大聖堂の方が、フィードラーのいう「あたえられた場で最高の成果をあげたものであり、構造上われわれの眼に触れるものは形式以外の何ものもなく、しかも全ての物的要素を完全に知的なものに一変しているため、その構造は物的実在とはかけはなれたものになっている」》



【2】やや重複しますが、本田錦一郎著『芸術のなかのヨーロッパ像』の中で、ヴォリンガー『ゴシック論』の記述として:次のように引用:

《我々はギリシャ芸術が死んだ石の法則性に生命を与えて、それを驚くべき表現的な有機体に変えているのを見る...ギリシャ建築が達成しえた表現は、すべて、石とともに、石によって達成されたものである。それに対してゴシック建築が達成しえた表現はすべて、石に抗って...達成されたものである。すなわちゴシック建築の表現は、もっぱら材料の完全な否定によって、材料の物質的剥奪によってもたらされるものである。》

 このように観てきますと、まさしくゴシック建築の基本的構造要素である石に対する考え方はロマネスク建築の考え方、つまり石という素材は知性と精神性に同化してしまい、素材には芸術的意図を何も求めていないという点で大同小異であることになります。両者とも、「石は美感を呼ぶためのものではない」という点で共通しています。



【3】一方G.ヘーゲル(1770-1831)も《建築の素材は、それ自身機械的な重たい団塊として、直接的外面性のままに与えられた物質的存在であり、無機的自然のままにとどまっている》(『美学』第二部)という。
(また「美」を定義して「美は理念の感性的仮象である」ともいっている。)

 ヴォリンゲル流(彼の古典的名著『抽象と感情移入』1908)風に云えば、芸術は感情移入なくしては無意味だということで、素材(石)は長持ちする単なる無機質の素材にすぎないということでしょう。



【4】これは参考までですが、柳宗玄は「石」について、著作『西洋の誕生』の中で:

《ロマネスク時代から急速に発達する西洋の石造建築に、巨石時代以来の石に対する信仰ないし執念が働いていると考えられはしないか。少なくとも中世までの西洋は、地域によっての変化はあれ、木の文化の伝統が非常に強力であったと考えられる。その中で石というものが、巨石時代以来ある宗教的な意味づけをされ、そしてキリスト教時代に入っても、少なくとも祭壇は石であらねばならず、できれば聖堂も石造にしたいという熱意が、ロマネスク時代に、石造穹窿の技術を急速に発達させ、それがゴシック時代に入って、かってのローマ時代に優るとも劣らぬ巨大な石の文化を築きあげたのだと考えられる。》
といっています。

 ただこの見解は、石の効用面での宗教心高揚に果たした役割についての記述にとどまっていると思います。いずれにしても「建築素材としての石」そのものに美的効用を期待することは西欧中世においては無理なようです。
 

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写真:ロマネスク巡礼路聖堂の基本形 『El Románico en España』Susaetaより
   クリスモン:ハカ大聖堂


 やや唐突な話ですが、「形式forma」と「様式estilo」とはいったいどういうものなのか、その違い は、と聞かれるといささかどぎまぎします。漠然と両者の違いを分りながら、いざその定義を述べよといわれると、正確に答えるのが難しい。実はこの二つの違いを正しく理解することは重要なのです。


 Herbert Read著『芸術様式の起源』によりますと、あらためて納得がいきます。

 彼は、第三章「造形美術における形式の起源」の冒頭に“芸術における形式とは、人間の意図と行動によって工作物にあたえられた形である”と先ず定義します。

 そして:
“考古学者の中には、アルタミラの一部の動物画は、「正確さ」とともに「様式」をもつ画風で慎重に構成されたと指摘した人もいる。しかし「様式」と「形式」の間に範疇上の区別がなされなければならない。様式は生命力、運動的な特質と一致し、形式は美、静止的な特質と一致する。様式は人間的であり、かつ人間のつくった工作物に限られているが、形式は普遍的であり、かつ人間の工作物が数学的法則と一致するときにのみ存在する。一般的には、旧石器時代の芸術家は様式を達成したが形式について知らなかったといえるだろう。”
と述べています。



 ではロマネスク美術とくに大聖堂建築を例にとると、その基本形は「形式性」を厳格に踏んでいて、数値的で、対称、均衡(黄金比率など)、方向(水平)などに配慮した数値的形式要件を充たすことに最大の努力が払われています。Santiago de Compostela大聖堂のように、オブラドイロ広場から東に向かって上り坂となっているために、大聖堂の土台となる地形が平らでなかったため、問題は深刻だった。中世の建築家は先ず形式を優先し、様々な工夫と英知を注ぎ、この基本的な問題の解決に苦心しています。彼らは、大聖堂西玄関から外陣にかけても内陣同様地下祭室を作り、“水平な土台”を先ず作ることで解決していますが、こういった観点から聖堂を見ることも、時には興味深いことです。



 一方、ここで「様式」の例として、Crismónクリスモン「キリスト及び三位一体」の様式的象徴を挙げておきましょう。スペインはこの造形の宝庫であり、それらは人々の感受性と地域性によってそれらは動的に姿・形を変えたりまた  色々な形象を挿入したりして、大小聖堂の扉口を飾っています。おそらくその様式的種別は数百にも上ると思います。貴族・大司教などの一部の人たちの棺にも、独自の様式を作り彫り込んでいる例があります。


 現在活躍中のスペインのロマネスク美術研究家たちの中にも、このクリスモンの研究に励み、時々論文が発表されています。例えば近年の例では、2006年に『中世のクリスモンと三位一体』と題する論文も発表されています。勿論スペインに限ったことではなく、このクリスモンという様式は、遠くは古代にまで遡ることもできます。


 この様式の由来は、「円」=宇宙の普遍的な象徴的形式、から始まって、これに人々が手を加え、キリスト教が未だ公認されていない前のローマ時代の迫害の歴史の中から生まれて、現在の数々の生命力を感じる様式を生み出したものだといわれています。この意味でクリスモンは、形式と様式の中間みたいな存在(つまり円環の中のデザインが変わる)であると言えるかもしれません。


[参考]Real Academia Españolaによれば“crismón”とは:
“Estandarte que usaban los emperadores romanos, en el cual, desde el tiempo de Constantino y por su mandato, se puso la cruz y el monograma de Cristo, compuesto de las dos primeras letras de este nombre en griego.”


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写真:上 シロス埋葬浮彫りcKKT
   下 フライベルグ・イム・ブライスガウ大聖堂 浮彫り彫刻
    (Otto Pacht『Methodesches zur Kunsthistorischen Praxis美術への洞察』より)


 この直前のブログでスペイン・ロマネスク美術のもつ魅力の源泉について、いくつかの独特な概念について触れましたが、今回は具体的に一つの例「キリストの埋葬」によって、時間と空間という概念に対するロマネスク美術の感覚とその手法について考えてみたい。


 時間とは何か、また時間というものは本当に存在するのか、存在するとしたらその始まりと終わりはいつか、等等これまで科学的に研究が進められてきました。アインシュタインの特殊相対性理論では、どうやら時間というものがこの宇宙にありそうだとも言われています。また空間とは何か、そして絶対空間とか相対空間とかいう概念も輻輳していて、議論がいまも続いているようです。


 ところがロマネスク時代11-12世紀ごろには、どうやら時間や空間に対する認識が曖昧で、いや曖昧というより思考の優先度が低く、ときどき「忘却」されていました。シロスのサント・ドミンゴ大修道院の回廊パネルとドイツのもの、これらの二つの「キリスト埋葬」の場面の上記写真をみていただきたい。これを二つの観点から見てみたい:

☆一つは時間的な乖離には拘泥しない手法―ロマネスクの忘却的自由さ
☆もう一つは弁証法を駆使した手法


具体例として;
・(シロスのサント・ドミンゴ大修道院回廊のパネルの一つ「キリストの埋葬」の場面,浅浮彫りで絵画のように二次元的、11~12世紀)【写真・上】

・(フライブルグ・イム・ブライスガウ大聖堂「キリスト埋葬」の場面、やや高浮彫りでゴシック的、場面構成の妙。13-14世紀?)【写真・下】


 前者は、『イスパニア・ロマネスク美術』P.136に記載し説明したように、ロマネスク手法による精神性を重視した手法で、すべての人物の表情は崇高・静謐で、アリマテアとニコデモが埋葬の聖なる仕事を受けもち、埋葬寸前の横たわったキリストは威厳に満ちています。右上の三人のマリアたちはこの悲痛な情景の現場にあって、悲しみを耐えているようには見えず、その表情はむしろ神々しい。下部の三つに分割できる三角形的造形(基部の安定感を志向)の中にいる兵士たちはふざけた格好で眠りこけています。この聖なる場面を共有する兵士たちの格好の異質さは一体どういうことなのでしょうか。


 後者のドイツのゴシック彫刻「埋葬」の場面は、棺の上方に全体の構成上離れ離れにさせた三人のマリアが埋葬直前の「仮象」=ロマネスク的に、この場の主人公を殊更大きくしたキリストを見下ろしています。同じように下部では不埒にもわざわざ兵士たちを眠りこけている姿にしている。


 問題はこの場面が何れも、新約聖書の記述とは全く異なっていることです。つまり三人のマリアが墓所を訪問するのは、この時点ではなく既にキリスト蘇生後の墓がすでに空になってしまっていた後のことでした。ロマネスク美術の彫刻手法は、「時間」と「空間」を忘却してしまっているのです。これはロマネスク美術に特有の「仮象apariencia ilusional(スペイン語は筆者の造語)」となって事実は抽象化され、時間と空間を超越した手法をとっています。これは芸術家の創造的「幻影」なのです。


 一方両者とも、このような「キリスト埋葬」という聖なる場面のすぐ下で、兵士たちを眠りこけさせる図像を配する芸術家の意図は一体どこにあるのでしょうか。これは、埋葬の後キリストを蘇らせるという神による最大の奇跡、それを人間が目の当たりにしてはならないために、わざと眠りこけさせているものと私は解釈しています。これを敢えて弁証法的に解釈すれば、聖なる場面と俗なる場面(反対概念)を対置させることによって、発展的に奇跡の蘇生へとジンテーゼさせる手法であると解しています。


 このようにロマネスク美術ならではの手法は、我々を魅了し知的な世界に飛翔させます。



[参考]以前このブログに載せたシロス大修道院回廊の浮彫りパネル「お告げ(受胎告知)」とか「マリア戴冠」の場面もこれと同様で、聖書の記述とは異なり「時間」と「空間」を忘却した合成手法をとっています。

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