写真: 「衣を与える聖マルティン」(Ixの板絵)『El Románico en las colecciones del MNAC』より
リーグル著『美術様式論』(長広敏雄訳、岩崎美術社、1970)の冒頭の「幾何学様式」に次のような記述(要約)があります:
「装飾美術の分類には、彫刻式(立体式)と平面式の二大部類をたてている。それらの発生的関係について、純粋に演繹的方法で、彫刻的美術と平面的美術について何れが発展史的に先行者であるべきか。それは、前者はより古く、より原始的なもの、後者はより新しく、より洗練されたものとよぶことができるであろう。
人間に模倣衝動があって以来、粘土で一匹の獣を形作ることは知力のそれほど高い働きを要求しなかった。何故ならば、お手本である生きた獣は自然にあるからである。しかし一度この獣をある平面の上に線画で描くこと、線彫りすること、色描することが問題となるや、それは一つの創造的行為を要求した。何故ならばこの場合には手本として存在する立体(獣)が模造されるのではなくて、現実には実在せず、人間によってはじめて自由創造される影絵、つまり輪郭線が写されるからである。この瞬間から、美術は初めて、その無限の表現力を得た。肉体性がすてられて、仮象に満足することになったのだ。現実自然のかたちを、ぜがひでも観察せねばならぬという窮屈から逃れて、想像を自由にした。この想像をみちびいて自然形態の自由な取り扱いと、取捨に向かわしめたという、きわめて目覚しい歩みをなしたのであった。」
人間に模倣衝動があって以来、粘土で一匹の獣を形作ることは知力のそれほど高い働きを要求しなかった。何故ならば、お手本である生きた獣は自然にあるからである。しかし一度この獣をある平面の上に線画で描くこと、線彫りすること、色描することが問題となるや、それは一つの創造的行為を要求した。何故ならばこの場合には手本として存在する立体(獣)が模造されるのではなくて、現実には実在せず、人間によってはじめて自由創造される影絵、つまり輪郭線が写されるからである。この瞬間から、美術は初めて、その無限の表現力を得た。肉体性がすてられて、仮象に満足することになったのだ。現実自然のかたちを、ぜがひでも観察せねばならぬという窮屈から逃れて、想像を自由にした。この想像をみちびいて自然形態の自由な取り扱いと、取捨に向かわしめたという、きわめて目覚しい歩みをなしたのであった。」
この易しくわかりやすいリーグルの明快な筆致は後々まで続きます。この本が様式論として古典的な名著である所以です。この記述の意味するところは、実はロマネスク美術の手法の原点であると思います。つまり一番肝心なところは「抽象」と「捨象」いう概念を二次元と三次元の間に導入して、その本質的違いを我々に示してくれています。さらに重要なところは、肉体性(=客観性)を捨て、「自由」、「創造」(=知性)というものを導入したことにあります。ロマネスク絵画・浮彫りはこのような二次元化へと変換を、さらに形而上学的に霊的に高めることにより完成させたといえます。
ただ誤解してはいけないのは、もともとの客体(例えば自然)はどこかにかすかに表象として残っている場合があり、これは次元の如何を問わずもとの原型は消されないということです。ただロマネスクの場合これを意図的に消し去ろうとする試みが為されます。つまり壁画においてまた写本などで、基底(背景)をモノクロミー化してしまい、金地、黒、赤、灰色など、一色で覆い隠すことで神秘性を演出したり、余分なものを除いたりするこの手法が往々にしてとられます(上記写真)。
話題が飛んで恐縮ですが、2010年6月、箱根の「彫刻の森美術館」で開催中の“ピカソとスペイン美術展”を観に行きました。ピカソの精力的な作品の数もさりながら、彼の絵画におけるCubism的手法は、ギリシャ/ローマ(古典/古代」の彫刻優位の三次元世界からロマネスク彫刻の三次元忌避による二次元化、そして次の時代ゴシック彫刻では三次元化、ルネッサンスの絵画優位の二次元化を経て、ピカソは現代の絵画優位の三次元化を再現する試みに成功したといえるではないでしょうか。