勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2010年07月

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写真:   ゴッホ「星降る夜」


 世の中は休暇シーズンですから、今回は少し横道に入ります。それにしても今年の夏は暑い: 


 今から20年近く前にパリのセーヌ川の畔にある“オルセー美術館”に行ったことを思い出します。今そのうちの115点が東京六本木の国立新美術館に来ています。


 2010.07.17付日経新聞特集記事で、国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展2010、こう楽しむ」と題して、“謎めく構図見る人誘う”という副題のもとに、作家の諸田玲子氏と画家の横尾忠則との対談が組まれました。私も横尾忠則氏の絵が好きで『ARTのパワースポット』(アート・エッセイ集)を楽しく読んで親しみを感じていたこともあり、この対談に興味をもちました。最後の一部を抜粋してみましょう:



諸田 :「ゴッホの“星降る夜”もよく見ると不思議で、下の人物は空を見上げているようだけど、空は背後の向こう側にあって、位置関係など無視して描いていますよね。」

横尾 :「遠近感がない。手前のものも遠くのものも同じ次元で彩色する浮世絵の影響をもろに受けたんじゃないでしょうかね。」

諸田 :「これだけで判断してはいけないけど、青という色にすごく思い入れがあった人でしょうね。」

横尾 :「確かこの絵(アルルのゴッホの寝室)では青色で輪郭を撮っています。葛飾北斎が紺の線を使う影響だと思いますね。」

諸田 :「洋服もつぼみたいなものまで、全部青ですね。日本人は浮世絵を取り入れなかったけれど、ゴッホはすごく影響されていますね。」


 
 この対談はいろんな意味で含蓄のある内容をもっています。ご両人ともに芸術的な感性が豊かな方々で、難しい芸術論的な内容を平易に語ってくださっています。この中で、イスパニア・ロマネスク美術研究家としての私の興味は:

1. 遠近感の欠如
2. 色彩のもつ表象的意味、
3. 浮世絵の手法(1と一部重複する)
4. 美の弁証法的対置と止揚

などの問題が取り上げられているのに心が動かされました。


 結論的に言えば、西欧の11-12世紀ロマネスク美術時代の基本的な考え方及び手法が寸分の相違もなく語られているからです。その意味では日本の浮世絵の影響も事実ですが、ゴッホの作風には、西欧中世の汎西欧的伝統であるロマネスク美術の素地が染み込んでいたということも考えられるのではないでしょうか。


 そして、西欧のロマネスク美術と、600年以上後の日本の浮世絵が手法においてこうも類似性をもち合わせていることに驚き、それは一体どういうことなのか、私は種々推測しています。


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写真:Prof.Andrés Villamanzo Guma「パネルの一素描」『Studia Silensia, Series Maior I』Abadía de Silos刊より


 私にとって、ロマネスク美術へ傾倒させた最初にして最大の動機となったのは、2000年2月ブルゴス市の南東71kmにあるベネディクト派のサント・ドミンゴ大修道院の回廊を最初に訪れたときに受けた衝撃でした。あの時からもう10年以上もの歳月が流れました。


 拙著『イスパニア・ロマネスク美術』が2008年8月に出版され、表紙および折り返しに同回廊の北西隅の二つのパネル彫刻「エマウスの弟子たち」(1.8mx1.08m)と「トマスの不信」(1.8mx1.12m)を用いました。その後2009年6月に同大修道院から懇切な要請を受け、1000年以上に及ぶ歴史的な伝統ある同大修道院図書館に蔵されました。しかもその翌年2010年から現在に至るまで併設ショップで販売されているという、なんとも有難いことになっています。わが国においても、各地の図書館に備えられ、大学や民間の中世美術研究者や愛好者の方々にもご購入いただき、漸く南欧の地の独特なキリスト教美術=イスパニア・ロマネスク美術の概要が少しずつわが国でも知られていく現状に、嬉しく思っています。


 さてこの大修道院Abadíaの創建は8世紀に遡りますが、聖ドミンゴがサン・ミリャンからシロスの地に来て再建したのは1041年ですから、もう千年近い昔のことです。それにしても13世紀にゴシック様式への移行の嵐が吹き荒れる中、たまたま財政上の理由で幸いにもロマネスク回廊部分が取り壊されることなく、現在まで当時の姿のまま残されています。


 回廊は二階建てで一階部分が古く、盛期ロマネスク時代12世紀の趣を色濃く留めています。東から見てやや台形となっていて、また南に向かって少し高低差があります。各廊下は約30mx幅3.6mx高さ4.35m.で、その天井のモサラベ様式のデザインと彩色は例えようもない美しさを讃えています。各隅に二枚ずつ計8枚の、縦横の「黄金比率」をもつ大きな浮彫りパネルが嵌め込まれ、新約聖書の代表的な情景が、典型的なロマネスク様式で「仮象の世界」が幻想的にまた知的に観るものに迫ります。


 個々の美術的設定は、これまで何度か拙著やこのブログで取り上げてきましたので、今回は総論的にその印象についてまとめておきたいと思います:

 これらの彫刻物-柱頭(64)とパネル(8)-は4人の彫刻師匠たちがその持分を分担しましたが、時々の修道院長の一致した強固な意志がはたらいたからでしょうか、なべて一貫性があります。

 個々人によって異なるでしょうが、回廊の彫刻装飾について私の印象を大きく捉えて云いますと;

1. 総体として完璧に統一的で均質的(uniformidad y entonación completa en el conjunto)
2. 硬さ、とげとげしさの欠如(inexsistencia de durezas y disonancia)及び像の衣の肌にまとわりつくような柔軟性と絵画的二次元性(bidimensional)
3. 写実的自然性はなく、非現実的な形象(distancia de lo natural, desproporción y posturas irreales)
4. 弁証法的「対置の美学」が多用(dialecticamente contrapuesto)
5. 通俗的な美はなく、むしろ形而上的シュールレアリズム的感性が知覚(concebir lo metafísico y posturas irreales)

などが観るものの心に迫ります。


 この辺の記述については、一部拙著でも触れましたが、Andrés Villamanzo Gumaブルゴス大学教授の論文「La Escultura de Silos estudiada y analizada por un escultor、シロスの彫刻-一彫刻家による研究分析」が参考になります。卓越した知識と研究成果の凝縮した論文で、とくに8つのパネルの解析が秀逸です。何れ機会をみて、この教授の素描と“柱頭制作図法”に関する記述の詳細に触れたいと思っています。


 シロスの回廊のベネディクト様式の成り立ちおよび配置などの研究が、私の昔の知人であるIsidro Bango Torvisoマドリッド大学主任教授によって為されています。私は2010年7月、Joaquín Yarza Luaces及びGerado Boto Varela編『Claustros Románicos Hispanosイスパニア・ロマネスク回廊』の中の彼の論文「La Topografía monasterial en España-Desde los orígenes del monacato a las primeras manifestaciones del claustro de tipo benedictinoイスパニアに於ける修道院配置-修道制の起源からベネディクト様式の最初の回廊表現まで」の邦訳を終えたばかりですが、将来もしご本人及び出版社の了解が得られれば、わが国において何らかの形で、他の翻訳を終えたいくつかの論文とともに、公にできる機会があればと願っております。

 
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写真:  コスマス・インディコプレウステスの『基督教地誌』中の一挿絵 
     (原本6世紀、写本9世紀、ヴァチカノ図書館)(『ロマネスク美術を索めて』より

      サンティアゴ大聖堂 正面扉口のタンパン 「栄光のキリスト」  cKKT

     サングエサの正面扉口のタンパン「最後の審判」  cKKT



 次の日曜日2010年7月25日はいよいよサンティアゴ(ヤコブ)の日で、聖年のピークを迎えます。それに因んで、巡礼路のいくつかの聖堂正面扉口タンパンに厳然と座せるキリストの大彫刻の由来について触れておくのも好機といえましょう。


 Émile Male著『L`Art religieux du XⅡsiécle en France』(ロマネスク図像学上)第一章に“モニュメンタルな大彫刻の誕生と写本群の影響”と題した研究があります。そしてエミール・マールは、何故そのモニュメンタルな大彫刻が11世紀の南フランスに再現したか、今日に至るまで霧の向こうにあって、不詳のままとなっていますが、彼はその根拠を『サン・スヴェールのベアトス本』(イスパニアのベアト本写本の影響下に生まれたもの)と主張しています。


 周知の如く、ベアト本は新約聖書「ヨハネの黙示録」の注解であり、同黙示録の第四章二節に;
“天に玉座が据えられていて、その玉座に座っている者がいた。座っている者の相貌は、碧玉と紅玉髄の様であった。そしてその玉座の周りをエメラルド色をした虹が取り巻いていた。また玉座のまわりには二十四の玉座があって、その玉座には、白い着物を身にまとい、頭には金の冠を被った二十四人の長老たちが座っていた。玉座からは稲妻が閃き、轟音が聞こえ、また雷の響きがしていた。また玉座の前では七つの火の燭台が燃え盛っていたが、それは神の七つの霊であった。玉座の前は、水晶のように透明な、ガラスの海のようなものがひろがっていた。玉座の中央と玉座の周囲には、前面も背面も、一面に目で覆われた四匹の生き物が侍っていた。第一の生き物はライオンに似ており、第二の生き物は若い牡牛に似ており,第三の生き物は人間のような顔をもっており、そして第四の生き物は飛んでいる鷲に似ていた。それら四匹の生き物はそれらの各々が六つの翼をもっており、まわりじゅう,しかも翼の内側まで、目で覆われている。それらは昼も夜も休むことなく、こう言い続けている、

      「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、
       主、全能者なる神、嘗て在りし、
       現在も在し、またこれから来る者」“
       ―『ヨハネの黙示録』(新約聖書翻訳委員会訳、岩波書店1996)より。


 この玉座に座る「栄光のキリストMajestad」の構図が大聖堂などの正面タンパンに、また「座せる全能の神キリストPantocrator」の構図が壁画と板絵などにとりいれられます。


 一方「最後の審判Juicio Final」の構図の原初のものは、4~5世紀に遡ります。現存しているのは、上の写真のコスマス・インディコプレウステス修道士(アレキサンドリア)が9世紀に著したバティカン蔵『基督教地誌』写本の中の図で、階段状に配置され、最上部には大きなキリスト像,その下部に八人の天使,次の段に13人の使徒たちと聖母、最下段には蘇った人たちが表されています。人物像は下に行くほどに小さくなっているのは、ロマネスクの手法「枠の法則」を予言するようです。この図像の出所は『マタイによる福音書』第二十五章31節以下(西欧)及び『ヨハネの黙示録』(東欧)の「最後の審判」です。


 イスパニアではとくにタンパンの「栄光のキリスト」のキリスト像では、巡礼路の最終地点・サンティアゴ大聖堂・栄光の門、また「最後の審判」のキリスト像で最も著名なものは、サンタ・マリア・ラ・レアール教会に現存します。


 サンティアゴ巡礼路は今頃昼夜を通して多彩な賑わいを見せていることでしょう。多くの巡礼者たちは様々の迂回路を辿り、周辺の聖堂や修道院などでロマネスク美術に包まれながら信仰心をいやがうえにも高められて、コンポステラを目指して歩を進めていることでしょう。


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写真: La Catedral de Santo Domingo de La Calzada


 2010年は「聖年」であるため、サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂では例年に比べ巡礼者の数が増え、「贖罪」の恩恵に与ろうと「聖人の門」を潜り抜け、新たな気持ちでこれからの人生を歩む人たちも多いことでしょう。


 かの地に向かうサンティアゴ巡礼路を四つのフランス街道から行き交う巡礼者たちが必ず訪れる、イスパニア巡礼路では第二番目(コンポステラの次)の規模をもつリオハ州サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ大聖堂について触れておきたい。これまでこの大聖堂について日本に紹介されている例を知りません。

 
 この大聖堂は1142年に最初の礎石が大司教ロドリゴ・デ・カスカンテの手によって置かれ、当時のナバラ王アルフォンソⅧの支援を受けながら1180年完成、1228年ローマ教皇グレゴリオⅨより大聖堂の格付けを付与されましたが、当時彼の地の有名なイスパニア人ガルシオン師匠によって構図が作られました。図の如く、やや見にくいかもしれませんがバシリカは三廊式、翼廊は突出せずにややいびつです。頭部に周歩廊(数多くの巡礼者の参詣を捌くために設置)、主祭室の他頭部に2祭室と翼廊部両端に夫々1祭室、計5祭室、4分割された穹窿は時代的にもややゴシック調です。


 ここで特筆したいのは扉口の作りがサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂のそれ、とくに「栄光の門」と「銀細工の門」と似たような図像的構成となっていることです-エッサイの木、楽器チターをもつダビデ王、三位一体的配置像など。ただし時期的に見てこちらの方が少し早いので、マテオ師匠のものではなく、おそらくフランスのベズレー辺りの影響を受けていると思われます。


 とにかく凄い数の柱頭や持ち送りが大聖堂の内外壁を飾っているのはイスパニアでは他では見られない壮観を呈しています。個々の彫刻物の詳細の説明はここでは割愛しますが、とくに柱頭に詰め込まれた数々の図像群は目まぐるしく、聖書的な周期、奇怪な像群、七つの柱を跨ぐように一つの構図(例:テベレの漁)が展開、それは多彩なものです。


 ここに「被昇天」の、聖母マリアが横たわったまま二人の天使によって天国に引き上げられていく姿が彫られた一つの柱頭を載せておきます。私にとってこのような構図をみたのは初めてですが、ひょっとするとフランスやイタリア辺りにこういった構図があるのかもしれません。



参考:フランスのオータン美術館には「マグダラのマリアの墓場からの昇天」の極めて珍しい彫刻がある。


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写真:リポイ凱旋門とサン・クガ柱頭(旧約:イサクの犠牲) ckkt



 周知の如く、旧約聖書では総じて“神と人間の関係”が述べられていますが、この場合人間とはイスラエル民族であり、神はこの民族を恰も一人の人格であるかのように対するのです。つまりイスラエル民族は一体で「選民Los elegidos」として神と契約(誓約)して一神教たるユダヤ教を信奉する唯一の民族でした。


 美術という観点から見れば、旧約聖書の図像構成はイスパニア・ロマネスク美術に取り上げられている頻度から見て、そのテーマは年代記的に創世記「アダムとイブ」、「イサクの犠牲」、「カインとアベル」、「バベルの塔」、ダニエル記「ライオンの穴に放り込まれたダニエル」、などが多く、その他はサムエル記「ダビデの巨人との対決」、ヨナ書「大魚に飲み込まれたヨナ」、また「預言者たち」などに限られ、新約聖書に比べると相対的に極めて少なく、しかも圧倒的に彫刻において展開されます。


 このことは冒頭の関係から見ても頷けることですが、ユダヤ教から派生してはいますが、それとは本質的に異なるグローバルな全民族に関わるキリスト教から見れば、宗教的内容の相克はキリスト教美術が主体のロマネスク美術のテーマに制限的に働かざるを得ないということです。したがって挿話的な、無難な話題のみが図像の対象となったのだと思います。


 イスパニア・ロマネスク美術、とくに初期のSanta María de Ripoll大聖堂の“凱旋門”、盛期のSantiago de Compostela大聖堂の“栄光の門”などには旧約聖書と新約聖書の総合的な彫刻が群集して彫られています。これらは美術手法的にはごてごてし過ぎという感が否めませんが、イスパニアの各地において数多くの修道院回廊の柱頭彫刻に旧約の情景が個別に展開されています。また絵画は聖堂内部(とくに内陣・祭室と穹窿)に壁画や板絵という形で描かれました。


 旧約の律法の時代(神と人間との双務契約的な関係)と新約の福音の時代(神の絶対的にして遍く愛)とは、図像的展開の基本において大きな違いを生んでいくことになります。

 
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写真 : Villasayas Nuestra Señora de la Asunción


 ソリアのVillasayasという村(人口約100人)に重要文化財に指定されているNuestra Señora de la Asunción教会があります。元々12世紀末に建てられた一廊式、3区画の小教会で、18世紀に後陣部分がゴシック様式で建て替えられています。しかし南の正面扉口(両側に夫々四つのアーチをもつカスティーリャ地方特有の柱廊が特徴的)の上部に経年のためかやや損耗していますが「受胎告知Anunciación」のすばらしい後期ロマネスク彫刻が鮮明に残っています。


 中央の聖処女マリアの像はロマネスクの決まりで“座して対する”姿勢で一段と大きく描かれ、向かって左側には大天使ミカエルが跪き、神の意志を伝達しています。この情景は共同訳「ルカによる福音書1-26」に生き生きと描写されていますが、ここでは向かって右側にマリアの許婚ヨセフが、イスパニアではお馴染みのpostura de somnolencia(まどろみの格好)ないしactitud de duda o sueño(疑いか夢心地の格好)をして、この図像に対称性を付与しています。


 実は上記の聖書の叙述では、ヨセフはこの場にはいないのです。これは芸術家の創作で、イスパニア・ロマネスク美術の手法でいわゆる「仮象」と呼ばれる幻想的情景です。ヨセフは左手にタウ形(T字)の杖をもち右手は額に軽く当てています。この様式はシロスのサント・ドミンゴ大修道院の回廊彫刻を請け負った第二の工匠の得意なポーズなので、恐らく彼の作だと推定できます。聖処女マリアの右手を軽く挙げているロマネスクのポーズは「受容」(神の言葉を受け入れるという意思表示)の姿勢です。


 それでは何ゆえこの場にいるはずもないヨセフをここに敢えて入れているのでしょうか。この厳粛な神のお告げの情景に、こういったヨセフの許婚人としての微妙な立場を思わせる、ともすればふてくされた格好をさせることもあります。ある意味では先端的な工匠の俗人的ふざけかもしれません。
このような苦笑いをさせるロマネスク手法の自由さに驚く他はありません。


参考 : 聖ヨセフのこのような図像は数多くあるが、たとえばアビラのサン・ビセンテ教会の
     「公現=東方三博士の礼拝」木彫像、またブルゴスのサン・フアン・デ・ベルガ修道院
     回廊の柱頭(春分と秋分の日にだけここに陽があたる)にもある。

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