勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2011年06月

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素描:持ち送り  肉体的痛み、San Pedro de Cervatos
写真:柱頭   アダムの痛み、Santa María de Tudela



 漸く初稿を終えた次作(拙著『随想 イスパニア・ロマネスク美術』2011年9月刊行)にも一部とりあげましたが、イスパニア各地の教会を巡っているときに、ロマネスクならではの独特な動作、身振りなどに出合うことがあります。いわゆる人間の「所作」は表現方法の一つとして重要な意味をもっています。



 イスパニアの比較的若いロマネスク美術研究者たちの中には、この時代にしか現れない人物の特異な「動作」または「身振り」といった特別な所作を研究している方がおられます。
 一例として、主の「公現Epifanía」(聖母マリアの膝に抱かれて東方の三王たちを引見する場面)の傍らに、マリアの許嫁ヨセフが頬に手を当てて半眼で頭をかしげている情景が、教会や修道院の色々な場所に彫り込まれているのを見かけます。
 処女マリアの懐妊という、当時一介の大工であったヨセフにとっては動顛の境地におかれたわけですから、多少屈折した心境もあってか、芸術家の主観によって様々な所作を産むことになったものと思います。
 勿論この場合は痛みと言っても精神的痛みのことです。



 また純粋に図像的配置上、聖母子の像を中心に据える必要性から、東方の三王とのバランスから敢えて聖ヨセフを配置するといった構図となったとも考えられますが、上記のような「所作」が多様なために一つの論考にしあげる試みが本となり、2007年にレオン大学から出版されています:

 アリシア・ミゲレス著『Actitudes gestuales en la iconografía del Románico peninsular hispanoイスパニア・ロマネスク図像における所作』には夢のテーマの他に「痛み」の図像など、いくつかの論考が女性ならではの筆致で繊細に描写されています。



 精神的、肉体的「痛み」という概念を、ロマネスク彫刻ではどのように扱っているのでしょうか。
 詳細なことはここでは避けますが、旧約の“アダムの痛み”(トゥデラの聖母教会、審判の扉口)及び“分娩の痛み”(カンタブリアのセルバトス教会軒持ち送り彫刻)の同書の素描をお借りしましょう。
 イスパニア・ロマネスクの世界において、このような直裁的な描写が聖なる教会の外壁の人目につくところに何故為されたのでしょうか。
 当時の田舎の農民たちの状況は伝達手段である紙というものが未だなく、また殆どが文盲で無教養であったことを思えば、眼に見える形で即物的教育手法をとらざるをえなかったことが察知できるでしょう。


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写真:ブルゴスのムハムッド由来の板絵



 イスパニア・ロマネスク彫刻や絵画には独特な「所作」(身振り)の描写が出てきます。その内の二つについて観てみましょう:


 今回は板絵の一例。板絵の場面設定は、蒙昧な農民(総人口の約90%)のキリスト教信者たちのために、聖堂の中で最も人目に付きやすい後陣の聖域の近くに祭壇前飾りとして置かれるのが常で、しかもその内容は殉教の場面であったり、悲痛な哀しみの場面であることが多くなります。つまり文盲の農民たちに、分り易くキリスト教信仰に殉ずる尊さやこの世の無常(王の死去など)への哀しみを訴えかける情景設定をしたのです。


 ここで一つの悲痛な情景を載せましょう。ブルゴスのムハムッド由来の板絵、祭葬における「慟哭」の場面を取り上げました。これは『Los Protagonistas de la Obra Románica(ロマネスク作品の主人公たち)』に収録されているJ.ヌニョ氏の論考「De la cuna a la sepultura:el discurso de la vida en Época Románica(揺籃から墓場まで:ロマネスク時代における人生論)」に掲載されているものです。


 この板絵の制作された時代は12世紀半ばと思われますが、当時アラゴン王朝の王やその家族たちは早世でした。詳細は避けますが、例えばサンチョ契ぁ1133-1158)25歳で亡くなり、王妃ブランカは23歳、王子エンリケIは13歳、また王子フェルナンドは22歳でいずれも亡くなっています。これらのことが貴族たちに「慟哭」させたことは想像できます。この板絵はその模様を描いたものです。一様にだぶだぶの喪服をきて耳をふさぐような所作は一瞬異様な感じを受けますが、当時の哀しい身振りを示すものです。


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写真「上」: パレンシアのサンタ・オラリャ礼拝堂円柱
  「下」: シロス回廊柱頭

 「竜(りゅう)」は元々東洋由来の想像上の動物で、化石化された骨から推理しますと、その躯体は分厚い皮に覆われ、神秘的な筋力を持つ動物だと思われています。日本では、天は四つの区分―天、雨、多雨な地上、地下―に分かれていました。そして竜は利益をもたらす動物だと信じられていました。我が国の徳川時代に左甚五郎が彫り上げた、日光東照宮の欄干のそれも夜になると生き物と化し、池におりて水を多量に飲み、雲となり雨を降らせたという伝説があります。しかも永遠不滅の生命力をも備えていました。つまり不死の動物で、支配者として君臨する象徴的存在でした。竜は天(雨)と地上の水と合一し、植物を育てる源泉ともなったのです。また春、緑、東方(日の出る方角)とも合一する存在でもありました。


 一方西欧ではニューアンスがやや異なります。竜の祖先(Suetonio)は本質的に「霊的存在」で、暑い乾いた土地を住み処とし、悪獣として善なるものに刃向かう所謂悪玉でしたが、言い伝えに依ればこの竜の血は傷を癒しまた病を根治する妙薬として特効があったと言われています。初期キリスト教時代には、竜はイエス・キリストに比され、その血を以て人々を救済すると信じられていました。
 
 また竜は監視能力があり、洞察力に優れその象徴にも擬されたということです。こういった竜の持つ特異な能力から、古典・古代には聖なる場所や宝物の蔵された場所の監視に利用されました。
 
 ロマネスク時代には教会に持ち込まれ、たとえばSanta Olalla礼拝堂(パレンシア)の円柱に描かれました(写真・上)。この場合は見張り役ではなく、視覚力学的な配慮から円柱にかかる重量を支える役目を象徴的に果たしたのですが。
 他にはBurgo de Osnaの礼拝堂(ソリア州)の円蓋の支脈(オスナの聖ペドロの墓の上部)にも守護を司るものとして描かれています。


 「黙示録12, 3-4」にも次の記述があります:
<また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。>

この場合、竜は破壊者でありサタンそのものです。しかし究極的にはキリストやキリスト者に負ける存在となっています。


 以上の記述はJesús Herrero Marcos『Bestiario románico en España』Cálamo, 2010の「El dragón竜」の記述を一部参考にしました。同書は()鳥類18種()一般動物類30種(掘妨諺枦動物11種、合計59種類の鳥獣について、個別にその生い立ち、象徴的意味などについて詳細に記述しています。同書の評価は別にして、イスパニア・ロマネスク彫刻や絵画に現れるほぼ全ての鳥獣類を余すところなく究めています。



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写真 : 『Las arcas románicas y sus marfiles―San Millán y San Felices』




 「出エジプト記」を思わせるような大箱、ここで取り上げるものは、ラ・リオハ州のSan Millán de la Cogolla(Yuso)修道院美術館に保存されている11世紀中頃の聖遺物を格納するオークの大箱です。

 大きさは横幅104cm、高さ58cm奥行き33cm.で、天の都を象徴するようでもあり、それは教会の外陣を小さくしたような感じでもあります。



 その内側は赤色の絹織物が貼られていて、さらに外側にはより高級な絹布で覆われています。

 二つともアンダルシア製の織物で、恐らくアルメリアの工房で造られたものと想定されます。

 色使いは赤、黄、緑の三色だけで、木々やグリフォンが対称的に配置され、砂漠の動物をイメージさせます。

 しかもイスラム美術に特徴的な直線描写で、曲線的なものはありません。この時代の秀逸なイスラムの織物は当時非常に高価で、そこにこそ相応しく聖人ミリャンの聖遺物が保存されたのです。



 イスラム由来の美術様式が色濃く組み込まれたものこそイスパニア・ロマネスク美術の本領であり、中でも聖遺物格納のための大箱は格式からいっても豪華を究め、見応えがあります。

 
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