写真: (上) トゥデラ大聖堂 柱頭
(下) オータン ロラン美術館蔵
「奇跡」とは“常識では考えられない神秘的な出来事。既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の徴と見なされるもの”と広辞苑にある。つまりこれをキリスト教的にいえば、「下位の公理(科学)」の例外的現象である。「上位の公理」とはキリスト教の教義のことを指す。
ロマネスク美術時代11~12世紀頃には、奇跡を行う人たちがいたことは間違いなさそうだ。何もイエスに限ったことではない、例えばシロスの大修道院長聖ドミンゴは奇跡を起こす人であったことはつとに知られている。
最近スペインから送られてきた「ロマネスク友の会」の雑誌『ROMÁNICO』(2011年12月版)のAmaya Zardoya氏とAurelia Blázquez氏の共同寄稿文を読んだ。S.O.S.Románicoというコラムに「トゥデラ大聖堂回廊への歴史・美術的アプローチ」という題名の小論考が載っている。数枚の写真の中にトゥデラ大聖堂回廊の北廊下No.6柱頭彫刻に、聖書の一場面キリストによる死者ラザロ復活の奇跡の場面「ラザロの蘇生」が刻まれている。
回廊は矩形で、二つの長い廊下には12のアーチ、短い方にはそれぞれ9アーチですべて半円柱が二本或は三本で各アーチを支える造形となっている。保存状態はさほど悪くないように思えるが、この状態を末永く維持していくために当該雑誌ではSOS信号を出して注意を喚起したのであろう。
さて、問題の柱頭の一面「ラザロの蘇生」を見ると、向かって一番右がイエスで、前列右の女性がラザロの姉妹マルタとマリア、左下に死者の布に包まれたラザロが横たわっている。上段にはイエスの弟子たちがいるが、その手は涙を拭っているのではない。死臭を避けるために左掌で鼻を覆っていて、やや写実的な印象を受ける。この直後イエスはラザロを蘇らせ、奇跡は完了する。
私はラザロの姉妹たちは、得も言われぬ悲痛な表情を浮かべ、四日前に死んだ兄弟に対峙している。こういった感覚はゴシックの足音が聞こえる頃、つまり12世紀末から13世紀初頭頃に彫られたものだと思う。
[参考]アンリ・フォション著、辻佐保子訳『ロマネスク彫刻』(中央公論、1975)に、オータンで1170-80年頃に制作され、1766年に破壊された「聖ラザロの墓」の彫刻の一部「マグダラのマリア」(写真)が載っている。これも哀悼の身振り(涙を拭う)で哀しみを表現しているのではなく、死臭を避けようとしているのである。
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「奇跡」とは“常識では考えられない神秘的な出来事。既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の徴と見なされるもの”と広辞苑にある。つまりこれをキリスト教的にいえば、「下位の公理(科学)」の例外的現象である。「上位の公理」とはキリスト教の教義のことを指す。
ロマネスク美術時代11~12世紀頃には、奇跡を行う人たちがいたことは間違いなさそうだ。何もイエスに限ったことではない、例えばシロスの大修道院長聖ドミンゴは奇跡を起こす人であったことはつとに知られている。
最近スペインから送られてきた「ロマネスク友の会」の雑誌『ROMÁNICO』(2011年12月版)のAmaya Zardoya氏とAurelia Blázquez氏の共同寄稿文を読んだ。S.O.S.Románicoというコラムに「トゥデラ大聖堂回廊への歴史・美術的アプローチ」という題名の小論考が載っている。数枚の写真の中にトゥデラ大聖堂回廊の北廊下No.6柱頭彫刻に、聖書の一場面キリストによる死者ラザロ復活の奇跡の場面「ラザロの蘇生」が刻まれている。
回廊は矩形で、二つの長い廊下には12のアーチ、短い方にはそれぞれ9アーチですべて半円柱が二本或は三本で各アーチを支える造形となっている。保存状態はさほど悪くないように思えるが、この状態を末永く維持していくために当該雑誌ではSOS信号を出して注意を喚起したのであろう。
さて、問題の柱頭の一面「ラザロの蘇生」を見ると、向かって一番右がイエスで、前列右の女性がラザロの姉妹マルタとマリア、左下に死者の布に包まれたラザロが横たわっている。上段にはイエスの弟子たちがいるが、その手は涙を拭っているのではない。死臭を避けるために左掌で鼻を覆っていて、やや写実的な印象を受ける。この直後イエスはラザロを蘇らせ、奇跡は完了する。
私はラザロの姉妹たちは、得も言われぬ悲痛な表情を浮かべ、四日前に死んだ兄弟に対峙している。こういった感覚はゴシックの足音が聞こえる頃、つまり12世紀末から13世紀初頭頃に彫られたものだと思う。
[参考]アンリ・フォション著、辻佐保子訳『ロマネスク彫刻』(中央公論、1975)に、オータンで1170-80年頃に制作され、1766年に破壊された「聖ラザロの墓」の彫刻の一部「マグダラのマリア」(写真)が載っている。これも哀悼の身振り(涙を拭う)で哀しみを表現しているのではなく、死臭を避けようとしているのである。
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