勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2012年11月

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写真:剥離の現場


 カタルーニャの三大美術館といえば、国立カタルーニャ美術館(MNAC)、ビック司教座美術館、ソルソナ司教座美術館である。中でもロマネスク彫刻、壁画、板絵、事物などを一番多く保管蔵している最大の美術館は、MNACであることは周知の通りである。

特に壁画は元の所在地である教会の祭室や側壁に描かれていたものを、剥がしてもち来たったものが多い。

ではどのようにそれを行ったのであろうか。



 ここにピレネー山脈の麓ボイ峡谷にあるSanta María de Taullのかの有名なフレスコ・テンペラ混合壁画「聖母子像」(1122年制作、作風はイタロ・ビザンチン様式)を剥がしている現場の写真(1922年当時のもの)を掲載したい。
(出所:Francesca Español, Joaquín Yarza共著『El Románico Catalán』2007)
(参考:拙著『イスパニア・ロマネスク美術、p.299-302』
 


 当時カタルーニャには、壁から壁画をそのベースである漆喰ごと剥がして移転する技術がなかったので、イタリア人の修復技術者Franco Steffanoni, Arturo DalmatiおよびArturo Cividini、三人の手でこれが為されたとのことである。

漆喰を上から剥がして巻物のようにぐるぐる巻きにしている、雑な感じがするが...。

この後当時のバルセロナ美術館(MNACの前身)に移転された。



 かの有名なSant Climent de Taullの“Pantocrátor”も同様だが、現在は剥がした跡に再び漆喰が塗られ、類似の模写壁画が描かれているが、現物を見る限り本物との格段の落差に驚きを隠し得なかったことを鮮明に思い出す。

当時の画家は、神の芸術の前に謙虚に身を処し、自らの名前を残さないのが通常であった、作者が誰か知るよしもない。



 平面はいびつな造形で、聖堂内部は薄暗く刺すように寒く、外は霧雨の降る晩秋の頃であった、4~5年前のことである。



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写真:“Pantocrátor”部分
“Martirio de Santa Julita con clavos”『El Románico en las colocciones del MNAC』より


 私はスペイン・ロマネスク美術に関する本を執筆し始めた頃、この時代の「色」というものをどう考えるべきかと悩んだことがあった。

この時代も写本の細密画が盛んに修道院を中心に描かれて、その鮮烈な色彩に感動を憶えたこともあるが、これまで色彩全般について深く研究したことはなかったので、最初に有名なRudorf Steiner著『色彩の本質Uber das Weseb der Farben』(高橋巌訳イザラ書房、1994、第6版)を基本書として読み進めて、一時色の世界の深遠な概念にはまり込んでしまった時期があった。



 この度は「黄」、「青」と「緑」三つの色について、ロマネスク絵画(壁画と板絵)について私なりに寸描してみたい。

同書によると(私なりの言葉に代えて要約する)、“黄色は特定の広がりをもった面として見ると、どうもしっくりしない。限定された黄色い色面に、魂は耐えられないということだ。黄色は濃い色を中心に置き、境界に近づくにしたがって淡く塗らねばならない。つまり黄色は放射拡散しようとする生命力。”



 歴史文化史的に見ると、この色は日本や中国では天皇(淡い黄色)や皇帝が用いる高貴な色とされていたが、ヨーロッパでは忌み嫌われた色(犯罪者の烙印を押す色、ナチにより収容されたユダヤ人たちの縦縞)として長い歴史をもっていた。

ロマネスク時代は黄金*のように尊ばれ、同時に霊的な崇高な背景にも使われた。変幻自在ななかなか難しい色である。

     *筆者註:黄金は黄色の範疇から別枠にする立場もある。


“青色はこれと正反対の内的本性をもつ、つまり青色は内に向かって輝く。
この黄色と青色を混ぜると緑色が生まれる。”(同書)



 こう見てくると「緑」は正反対の二つの概念、黄色と青色を混ぜ合わせたもので両義性を持つ色だと考えられる。

具体的に云えば[生の輝き](森の木々の緑) を意味すると同時にその影である[死](霊的)・[不実](心変わり)をも映す。このことはロマネスクの色彩解釈にとっては重要だと思う。



 一方最近読んだ本だが、徳井淑子著『色で読む中世ヨーロッパ』(講談社選書メチエ364、2006)は分り易く書かれた労作である。

同教授は「色を発見した12世紀」、「中世人は何色を好んだか」と言った小項を設けて色の問題を多角的に説いている。

例えば中世人は「水の色は白い」と表現していたらしい。



 12世紀は丁度ロマネスク盛期にあたる。

この世紀に物語文学や造形芸術の創作、ステンドグラスの大聖堂への導入など、直ぐ後のゴシック美術時代への橋渡しの、美的には過渡期の魅力を醸し出す時期でもある。

中世人が好んだ紋章の色は六つに集約されている:黄金(広義に黄色の範疇に容れる)、銀色、赤、黒、青、緑。



 この場では、MNAC(国立カタルーニャ美術館)の壁画と板絵の部分を掲載するが他にも好例があると思う。

それは別にして、背景の色に注目願いたい。



 それぞれスペイン・ロマネスク絵画の具体的な作品の色使いを見ながら、色とその意味や効果を種々模索するのも一興であろう、ともかく色の世界は奥が深く、場面によってカメレオンのように両義性を発揮する、だから画一的には考えられない難しさがある。



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写真:“Pantocrátor”部分
“Martirio de Santa Julita con clavos”『El Románico en las colocciones del MNAC』より


 私はスペイン・ロマネスク美術に関する本を執筆し始めた頃、この時代の「色」というものをどう考えるべきかと悩んだことがあった。

この時代も写本の細密画が盛んに修道院を中心に描かれて、その鮮烈な色彩に感動を憶えたこともあるが、これまで色彩全般について深く研究したことはなかったので、最初に有名なRudorf Steiner著『色彩の本質Uber das Weseb der Farben』(高橋巌訳イザラ書房、1994、第6版)を基本書として読み進めて、一時色の世界の深遠な概念にはまり込んでしまった時期があった。



 この度は「黄」、「青」と「緑」三つの色について、ロマネスク絵画(壁画と板絵)について私なりに寸描してみたい。

同書によると(私なりの言葉に代えて要約する)、“黄色は特定の広がりをもった面として見ると、どうもしっくりしない。限定された黄色い色面に、魂は耐えられないということだ。黄色は濃い色を中心に置き、境界に近づくにしたがって淡く塗らねばならない。つまり黄色は放射拡散しようとする生命力。”



 歴史文化史的に見ると、この色は日本や中国では天皇(淡い黄色)や皇帝が用いる高貴な色とされていたが、ヨーロッパでは忌み嫌われた色(犯罪者の烙印を押す色、ナチにより収容されたユダヤ人たちの縦縞)として長い歴史をもっていた。

ロマネスク時代は黄金*のように尊ばれ、同時に霊的な崇高な背景にも使われた。変幻自在ななかなか難しい色である。

     *筆者註:黄金は黄色の範疇から別枠にする立場もある。


“青色はこれと正反対の内的本性をもつ、つまり青色は内に向かって輝く。
この黄色と青色を混ぜると緑色が生まれる。”(同書)



 こう見てくると「緑」は正反対の二つの概念、黄色と青色を混ぜ合わせたもので両義性を持つ色だと考えられる。

具体的に云えば[生の輝き](森の木々の緑) を意味すると同時にその影である[死](霊的)・[不実](心変わり)をも映す。このことはロマネスクの色彩解釈にとっては重要だと思う。



 一方最近読んだ本だが、徳井淑子著『色で読む中世ヨーロッパ』(講談社選書メチエ364、2006)は分り易く書かれた労作である。

同教授は「色を発見した12世紀」、「中世人は何色を好んだか」と言った小項を設けて色の問題を多角的に説いている。

例えば中世人は「水の色は白い」と表現していたらしい。



 12世紀は丁度ロマネスク盛期にあたる。

この世紀に物語文学や造形芸術の創作、ステンドグラスの大聖堂への導入など、直ぐ後のゴシック美術時代への橋渡しの、美的には過渡期の魅力を醸し出す時期でもある。

中世人が好んだ紋章の色は六つに集約されている:黄金(広義に黄色の範疇に容れる)、銀色、赤、黒、青、緑。



 この場では、MNAC(国立カタルーニャ美術館)の壁画と板絵の部分を掲載するが他にも好例があると思う。

それは別にして、背景の色に注目願いたい。



 それぞれスペイン・ロマネスク絵画の具体的な作品の色使いを見ながら、色とその意味や効果を種々模索するのも一興であろう、ともかく色の世界は奥が深く、場面によってカメレオンのように両義性を発揮する、だから画一的には考えられない難しさがある。



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写真:1.Incinillasの小教会・持ち送り
   2.San Juan de la Peña大修道院の回廊の柱頭 



 Umberto Eco著『醜の歴史Storia della Brutezza』(川野美也子訳、東洋書林、2009年10月刊)はヨーロッパの「醜」の研究書としては挿し絵が面白く興味深く眺めた。

ただロマネスク美術時代の醜の事例には一切触れていないのが、私としては物足りない。

所謂学術書ではないので、Johann Karl Friedrich Rosenkranz著『醜の美学』とはひと味違う。

とくに後者はロマネスク美術に興味を持つ者にとっては一読すべきものと思う。



 私がいつも講演する度に具体的に例示しながら語ってきた、“美と対置することにより醜は弁証法的に美を止揚する”といった美の反対概念としての負としての醜を考えるのではなくて、上記の両著作では「醜そのもの」を“美しい”と捉えている。
 

 スペイン・ロマネスクにおいて「醜の実例」は極めて多いが、それらは何を言わんとしているのか解りにくい場合が多く、本質を見極めることが難しく推定の域を出ないことが往々にしてある。
   

 理屈としては、プラトンの例をとると、唯一の現実はイデア界のそれであり、我々の物質世界はその影であり模倣であるとすれば、醜自体はイデア界に属するものではないのでその存在自体が曖昧になる。

もし醜が存在するとすれば物質世界の不完全さの形象ということになるのではなかろうか。


 
 スペイン・ロマネスク彫刻には往々にして、一見不可解で奇妙な容貌の人の顔が彫られている。

仕事を依頼した教会や修道院側の聖職者の意図がどのようなものであったか、また相談し合った工匠(彫刻師の親方)の反応などを推し量る以外ない。


 この場合もその一つであるが、場所はブルゴス州の小教会Iglesia de Incinillasの軒を取り巻く“持ち送りcanecillos”の一彫刻物である(写真上)。

 ここに示した男の奇妙な顔はもう一つその意味がはっきりしない。

人体の一部が“退化していく病degenerado”の顔相ではないかという説もある。

あるいは、私の推測ではあるが、邪淫、背徳の罪を重ねるとこういう醜い顔になるとの背徳への警告的意味があるのかもしれない。



 こういう仕掛けは、ロマネスク時代の農民・農奴に直接見やすいところに置いて「してはならないこと」を目で見させて聖職者が教育するためのものが多く、この時代特有の現象である。

“顔は心を表す”ともいわれるが、逆に醜男の心はよくないかというとそうでもあるまい。

反って思いやりのあるいい男であることも大いにあり得る。


 
 もう一つは、両眼が不釣り合いにばかでかい男の顔の部分(San Juan de la Peña大修道院の回廊の柱頭)もなんだかよく解らない。

察するしかないのだが、奇跡を目の前で見て驚愕している顔かもしれない。

これもれっきとしたロマネスク彫刻なのである。


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