勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2012年12月

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 写真:
「市川蝦蔵(五代目団十郎)の竹村定之進」
「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」
「San Lorenzo de Uncastilloの柱頭」


 何年前だったか…出身大学の同窓会から講演を頼まれて「写楽とロマネスク」のことを話題にしたことがある。忘却したが、このブログでも一度話題にしたことがあったかもしれない。


 写楽という江戸時代の伝説的人物の存在は、世界の人々の関心を集めてきた。私にとって彼の役者絵(半身図)28枚は魅力的で好きである、背景は凡て重厚な黒雲母摺りだが、中でも著名な一つは「市川蝦蔵(五代目団十郎)の竹村定之進」と、もう一枚の「奴の江戸兵衛こと大谷鬼次」が秀逸だと思っている。


 三年ほど前、小林祐作『美醜を分ける』(新興出版社、1971)という古めいた箱入りの本を確か新橋の古書市で見つけ書棚に積んであったので、論文執筆で忙しい今日この頃、息抜きの一時何気なく再び眺めてみた。



 写楽は今でこそ日本のみならず世界中で高い評価を得ているようだが、恐らくゴッホが浮世絵に惚れ込んで,自分の住み処に飾って眺めていたというから、それだけでも昔から写楽の評価は定まっていたのかも知れない。

しかし写楽が役者絵師として世に在った期間は同書による、僅かに一年にも充たないものだったらしい。

それでも、当時で云えば奇妙な絵を支えてくれた人がいた。

それは当時著名な版元蔦屋重三郎であり、彼は歌麿をも世に出した男でもある。

とにかく自分が誰かに見いだされると言うことは僥倖そのもので、その人にとって画期的な未来が開ける可能性があると言っても過言ではない。



 そのような写楽(能楽役者出身?)の絵―妖しいまでの美しさと醜さが溶け合って、美しさに醜さが紛れて蔭となり、醜さに蠱惑的な魅力が伴っている―当時の江戸の人たちには受け入れられずにいたのを、ドイツ人の美術史家クルト博士が絶賛し、写楽をレンブラントやベラスケスにも比肩する画家だと賞賛したという。



 前者の絵(竹村定之進)は“上がった眉にあぐらをかいた獅子鼻、両肩に漲った豊かな幅、見開いた生色溢れるまなこ,ひきゆがめられて結んだ口端に覗く二枚の歯、顴骨から大胆に抉って流れる輪郭線は豊かに受ける顎の線と相まって大役者を写して余すところがない”(上記書から引用)。

 後者の「奴の江戸兵衛」を演ずる大谷鬼次の絵は、“その懐からぐいと突き出した歪んでのびた左手、蛙の吸盤を思わせるような力の入った右手の指…”デフォルメであるが、造作は別において、写楽の主観に投じ心が捉えた抽象的造形であろう…と講演で語ったことを思い出している。



 この辺りの心根や手法がスペイン・ロマネスク回廊や聖堂内部にある柱頭群、壁また持ち送りなどに見られる大袈裟な、今時の言葉で言えば“表現主義的な抽象性”やデフォルメと重なるものを私は感じるのである。

勿論時代は互いに数百年もの乖離があるのだが。



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写真:山鹿流陣太鼓


 滅多にないことだが、今回はロマネスクの世界を離れて、脇道Desvíoに逸れてみたい。

年の暮れになるとつい感傷的になる。



 「聖なる空間」とは、西欧中世時代でいえば、教会や修道院聖堂の内部空間のことを先ず思う。

神の家として、そこはイエス・キリストの体内である。



 私はロマネスク美術の勉強の合間に,脚をソファーの上に乗せ斜めになって乱読する習慣があり、先ほどまで何となく手にした筑波大学元教授、山形和美編『聖なるものと想像力』(上/下)、彩流社、1994をぱらぱらめくっていた。

その下巻に、フェリス女子大学教授の宮坂覚先生の小稿「汚染される<空間>-芥川龍之介の「或日の大石蔵之助」と題した一文が載っている。

私も高校生の頃に家にあった父の遺品芥川竜之介全集があり、無意識に手にとって眺めるようになり大石蔵之介の内面を描写したこの短編を何度か読んだものである。

さすが芥川の研究家として著名な宮坂先生だけあって、僭越だが引用箇所といい添え文といい、引き込まれる内容であった。私も感激して若い日々を思い出し、ついつい感傷的になってしまった。



 この芥川の記述は、大正六年九月「中央公論」に発表され評判を得た作品であるが、元禄十五年十二月十四日、大石以下所謂四十七士による吉良上野介宅への討ち入り後、大石は細川家の江戸上屋敷に預けられるが、翌年春の“或る日”の蔵之介の心の内と、見事な筆致で描かれた周囲の情景が主題である。

彼の居室は切腹までの仮住まいで、書見している所から始まる。

彼は「すべては行きつく処へ行きついた」満足のなかにいる。宮坂先生の言葉をかりれば、“復讐は道徳上の要求にも一致して成就した。蔵之介は、完成の満足だけでなく、道徳を体現したそれも同時に味わったのである。その満足に次第に不協和音が生じる。

ついに「昔の放埒の記憶」(小生の註:来るべき敵討ちを忘れたふりをして、吉原で快楽に耽け世間を欺いたとされる)が蘇り、遂に「その放埒な生活の中に、復讐の挙を全然忘却した駘蕩たる瞬間を味わった」ことを思い、「彼は忠義を尽くす手段として激賞されるのは不快であると共に、後ろめたい思いに駆られるのである。」



 蔵之助はあの聖なる空間(居間である座敷)にいたたまれず「廊下に出て、微かな梅の匂いにつれて、冴え返る心の底へしみ透ってくる寂しさは、このいいようのない寂しさは,一体どこから来るのであろう。-蔵之助は、青空に象嵌したやうな、堅く冷たい花を仰ぎながら、いつまでもじっとただずんでいた」



 居間でもある彼の使っていた座敷「聖なる空間」(見事主君の仇討ちを成し遂げた正義の偶像?が住まった)が一転して罪悪感に苛まれる男の住まう空間となる。

これを人間が普遍的にもつ原罪と云わずして何であろうか。

きっと大石蔵之介は自ら罪の意識を感じ、いたたまれなかったのであろう。

冷たい花は彼の理性の象徴だったに違いない。



 過ぎ去った12月14日はかの「討ち入りの日」である。



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写真:ドニャ・サンチャの石棺 (拙著『イスパニア・ロマネスク美術』より)


 この歌は数年前に爆発的に流行って、私の先輩友人もカラオケで十八番の一つとして美声をふりしぼっていた。

本物は確かオペラ調の歌い手であったように記憶している。

この歌詩は芥川賞作家の新井満さんが作者不明の英詩から訳し、曲を付けたものだそうだ。

詩の中味は死者の側から生者へ呼びかけたもので、

内容は「死は愛する者が遠くへ行ってしまうことではなく、姿を変えて近くにいること。つまり絆は分断されるのではない」ということである(芥川喜好著『時の余白に』みすず書房、2012。因みにこの書は秀逸な随筆集である)。



 「死」をどう考えるか、ということについて古今東西を問わず、宗教的又哲学的にこれまで種々議論が為されてきた。

親しいものにとって相手の死は「無」に帰するものではなく、「不在」と考えたいのは人情である。

それは死の向こう側は無であるとは科学的に理性では立証できないからでもある、

つまりそれは「不可知論」の世界だからである。



 ロマネスク美術が盛期を迎えようとしていた頃(11世紀末~12世紀中頃)、スペインの王侯貴族のファミリーの誰かが亡くなった時には、死者の魂との対話ができるように、大理石の豪華な石棺(当時棺は廟みたいな出入りできる場所に格納)の全面(蓋と四則面全部)に彫刻を施し、又時には死者の魂の象徴を彫りつけ、残された家族がいつでも行き来して対面したのである。

死んだ主人公は特に王妃、王女の如き女性であった。

その女性の「魂の象徴」として、彼女の幼い頃の裸の正面の姿を描くことがあった。

ここに載せた写真はハカにあるSan Salvador y San Ginés教会に安置された1096年没アラゴン朝サンチョ・ラミレス王の妹の一人であるである。



 キリスト教では輪廻という思想はなく、いわゆる「死」は単なる通過時点に過ぎず、魂は神の裁きを経て永遠の命をもつ、つまり必ず生まれ変わるという自動的に元に戻るといった円的な思考方法ではなく、次の世界に移行する直線的思考をとる。

私もこの後者の考え方を是としている。
 


 でもここでは宗教について敢えてとやかく言うつもりはない。

誰でも親兄弟や親しい友人などに死に別れた人たちは、あの「千の風になって」という歌に慰められたに違いない。

又共感を覚えた人たちも多かったのであろう。そうでなければ何十万枚もCDが売れるはずがない。



 人間の奥底にある永遠への渇望は変わらないものである。

この点、ロマネスク美術の一貫して流れる思想は、キリスト教美術として極めて明快で、命は尽きないのである。


 
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写真:ドニャ・サンチャの石棺 (拙著『イスパニア・ロマネスク美術』より)


 この歌は数年前に爆発的に流行って、私の先輩友人もカラオケで十八番の一つとして美声をふりしぼっていた。

本物は確かオペラ調の歌い手であったように記憶している。

この歌詩は芥川賞作家の新井満さんが作者不明の英詩から訳し、曲を付けたものだそうだ。

詩の中味は死者の側から生者へ呼びかけたもので、

内容は「死は愛する者が遠くへ行ってしまうことではなく、姿を変えて近くにいること。つまり絆は分断されるのではない」ということである(芥川喜好著『時の余白に』みすず書房、2012。因みにこの書は秀逸な随筆集である)。



 「死」をどう考えるか、ということについて古今東西を問わず、宗教的又哲学的にこれまで種々議論が為されてきた。

親しいものにとって相手の死は「無」に帰するものではなく、「不在」と考えたいのは人情である。

それは死の向こう側は無であるとは科学的に理性では立証できないからでもある、

つまりそれは「不可知論」の世界だからである。



 ロマネスク美術が盛期を迎えようとしていた頃(11世紀末~12世紀中頃)、スペインの王侯貴族のファミリーの誰かが亡くなった時には、死者の魂との対話ができるように、大理石の豪華な石棺(当時棺は廟みたいな出入りできる場所に格納)の全面(蓋と四則面全部)に彫刻を施し、又時には死者の魂の象徴を彫りつけ、残された家族がいつでも行き来して対面したのである。

死んだ主人公は特に王妃、王女の如き女性であった。

その女性の「魂の象徴」として、彼女の幼い頃の裸の正面の姿を描くことがあった。

ここに載せた写真はハカにあるSan Salvador y San Ginés教会に安置された1096年没アラゴン朝サンチョ・ラミレス王の妹の一人であるである。



 キリスト教では輪廻という思想はなく、いわゆる「死」は単なる通過時点に過ぎず、魂は神の裁きを経て永遠の命をもつ、つまり必ず生まれ変わるという自動的に元に戻るといった円的な思考方法ではなく、次の世界に移行する直線的思考をとる。

私もこの後者の考え方を是としている。
 


 でもここでは宗教について敢えてとやかく言うつもりはない。

誰でも親兄弟や親しい友人などに死に別れた人たちは、あの「千の風になって」という歌に慰められたに違いない。

又共感を覚えた人たちも多かったのであろう。そうでなければ何十万枚もCDが売れるはずがない。



 人間の奥底にある永遠への渇望は変わらないものである。

この点、ロマネスク美術の一貫して流れる思想は、キリスト教美術として極めて明快で、命は尽きないのである。


 
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