勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2013年04月

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写真:上 日時計
写真:中 聖務日課
写真:下 平安時代の時間表現表


 「時間」という概念をどう考えるか、ほぼ同時代を共有したスペイン・ロマネスク時代と我が国の平安時代において、どのような違いがあったのだろうか。

 この命題を少し考えることは、昼夜の区別がなくなろうとしているかのような現代に生きる我々にとって、何か示唆してくれそうな気がする。



 便宜的にベネディクト派修道院の場合について、この「時間」の意識は典礼的聖務日課Liturgia Horarumと結びついているといっても過言ではない。

『聖ベネディクトの戒律』(古田暁訳)“補遺”によると:

 ≪戒律と時間計算-戒律は当時の慣習にしたがい一日を二分してその時刻を数えている。

すなわち、日の出から日没、日没から日の出までを、それぞれ十二等分する。

一応、昼間の十二時間と夜の十二時間に分けられる-中略-

当時の修道院に必ずしも日時計、砂時計のようなものがあったわけではなく、とくに夜間、鶏の鳴き声やら、星の運行を頼りにしていたことを忘れてはならない。≫。


また、

≪戒律全体を通じて時間に対する新鮮で鋭い意識を表明している。

これは人類の文明史における決定的な瞬間を示す一つの出来事といえる。

人間存在の特異性を示す意識の誕生である。

ド・ヴォギュエは、ベネディクトほど伝統的な修道生活の聖なる枠組みを自由に変えられた人はいないと思うと云うが、それを可能にしたのは伝統的な時間感覚からの決定的な決別であろう。

それによって、時の間断のない流れに人間的時間が組み込まれることになり、こうして人間はその生活の枠のうちで考えられるようになったと云える。

 そこで「全ては適切な時刻に」omnia horis conpetentibusという意識が生まれた。

起床の時間、食事の時間、労働の時間などである。-中略―

人は時間的な規則性をカレンダーというものを創ることで獲得したが、それはあくまで年、月、週単位の規則性で、時間単位の規則性のためには日程horariumという制度を必要とした。≫



 しかし、こういった時間単位の実際上の運用はいい加減だったようで、修道士たちの意識は弾力的というか厳密ではなく、時間が事柄を定めていたと云うよりは、むしろ逆に、事柄が時間意識をもたせたといった感覚の方がより事実に近かったのではないかと思われる。

 
 この後、修道士たちの守るべき日課(労働、祈り、読書、食事、睡眠など)と延々と続くが、要は修道生活を有機的な生命力溢れるものには、時間毎のサイクルが必須であった。

 こういった修道士たちを律する日常生活の他に、横に割り込まれるのが典礼歴というキリスト教には必須で、主に夏と冬の季節が基本である(大齋=断食、復活祭、聖霊降誕祭、四旬節など)。


 12世紀パレンシアのSanta María de Beneviere修道院(現在はパレンシア司教座美術館蔵)の日時計の写真を載せよう【写真:上】。

上部は標準的時計、下部は日中の12時間を刻んだものである。




 【写真:中】の表は、一日の区切り(縦に:夕暮れ=日没、夜の始まり、就寝前、真夜中、鶏鳴、夜明け=日昇、朝の始まり、真昼、午後の始まりに区分され、横に向かってイスパニア聖務=典礼及びローマ聖務=典礼)を示し、縦に羅列された各項目はそれぞれの聖務日課の内容を示す。

初期ロマネスク時代(10-11世紀頃)にイスパニア典礼がローマ典礼に移行されたことに注意を要する。

何故ならばガリアCluny-教皇庁のイベリア政策により、ローマ典礼に統一されたのである。


           出所:Coordinador: José Ángel García de Cortázar
           『Vida y Muerte en el Monasterio Románico』
            Fundación Sta.María la Real, 2004-
           “El ora en la jornada del monje:
           la litugía en los monasterios (del rito hispano al romano)”





 さて、イスパニア・ロマネスク美術時代(11-12世紀)は、日本では平安時代(794-1192年頃)に相応する。

この我が国の時代において、一体「時」の観念はどうであったのか、

格好の本が最近(2013.03.25)出版された

-小林賢章『平安人の時間表現-暁の謎を解く』角川選書521。

この書は平安人の「明け方の風情」に限定して実によく研究され、豊富な事例を博識に記しておられる。


 冒頭の「枕草子」(初稿は996年)、かの著名な清少納言の筆になるが、

そこに次のような一文がある:

《大納言参り給いて、文の事など奏したまふに、例の、夜いたくふけぬれば、

御前なる人々、一人二人づつ失せて、御屏風、御凡帳のうしろなどに、みな隠れ臥しぬれば、

ただ、一人、 ねぶたさを念じて候ふに、「丑四つ」と奏するなり。

「開けはべりぬなり」とひとりごつを、大納言殿、

「いまさらにな大殿籠りおはしましそ」とて、寝べきものともおぼいたらぬを、

「うたて、何しにさ申しつらむ」と思へど、また、人のあらばこそはまぎれも臥さめ。》


 著者の撰文だが、これは宮中の場面で、陰陽寮の役人が水時計(漏刻)により時期を宮中内に知らせる時奏をしていたが、その役人が上文のように「丑四つ」だと報せている。

つまりこの時代に時がまざまざ意識されていたのである。

丑四つとは今の時間で云えば、午前二時三十分のことである。

「開けはべりぬなり」とは、「夜が明けてしまったようですね」という意味であるから、いい加減なものだ(後に異なる意訳が用いられたようである)。



 世俗の人々は、寺院が打ち鳴らす鐘に依って時間を知り、寺院自身は香時計を奈良時代より用いていたと思われる(東大寺・香時計)。

この方式で知った時間を鐘、太鼓、法螺貝などで報せていた。




 次ぎに「平安時代の時間表現表」を下記にお借りしよう【写真:下】


 枕草子は初稿が10世紀末のものだというから、初期ロマネスク時代と重なる。

地球の裏側の両地域が、日時計を共に媒介として日時を決めていた、しかも極めておおらかに時間というものを考えていたということは、人間生活が如何に住みやすかったか。

彼らにはキリスト教と仏教といった宗教の違いはあるにせよ、命が永遠の形而上学的世界に飛翔することを信じて生きていたことを思うとき、自分の時間は宇宙へと果てしなく広がっていたことであろう。





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写真 :


 カタルーニャはスペイン・ロマネスク美術の最大の宝庫であろう。

何故だろうか、その最大の理由はカタルーニャの立地である。

北は西欧ロマネスク美術発祥の地ガリアと呼ばれた現南フランスに接し、

東はローマや遠くはコンスタンティノポリス(東ローマ帝国の首都であり、

ビザンチン美術の中心)を地中海越しに臨み、

大きな影響を最初に受けたのがカタルーニャであった。




 スペインのロマネスク美術は、周知の如く地域性があり、

工房による手法的特徴も異なるが、

スペイン語Imaginería(聖像-聖母子、磔刑像などの木彫作品)は

現存するもので恐らく数千体を超えるであろう。


 特に聖母子像は1m未満のものが大半である。

このように比較的小さいものは移動しやすく、盗難は勿論、

国外流出や個人の所有に帰する場合も数多くある。

以前にもこのブログでも述べたが、この分野の研究はそれほど進んでなく、

未知な分野が多く、また書き物も少ない。


 私の知る限り、Gudiol Ricart

『Ars Hispaniae VI-pintura románica e imaginería románica』

にまとまった記述がある程度だ。




 この場では、MNAC編纂『El Esplendor del Románico』

(華麗なロマネスク)の写真を借りて、

「Virgen y San Juan del Decendimento de Erill la Vall」

(エリル・ラ・バルのキリスト降架の聖母と聖ヨハネ)の大写しの頭部を載せたい:


・全体像は木製、聖母―144x40x21cm、聖ヨハネ―144x20x21cm。

・由来はIglesia Parroquial de Santa Eulalia de Erill la Vall (Alta Ribagorza, Lérida)。

・MNAC蔵No.3947-CJT。

・制作:12世紀後半。



 この二体の像は、「キリスト降架」の情景に登場する一部の人たちである。

この他、当然キリスト、アリマテアのホセ、ニコデモ、二人の盗賊たちなどで、

この場面が全て木彫像で劇場的に構成されている。



 ゴシック美術時代以降の聖母マリアの若い、現代にも通じる美しい容姿とはことなり、

カタルーニャ・ロマネスクの聖母、聖母子像に現れる像は

一様に素朴で質素な容姿・容貌となっているのが特徴的である。


 恐らく聖書の時代は、ロマネスクの描写のほうがより現実味を帯びていたと推察する。

彫りも粗く、容貌には自然主義的な手法が何となく感じられる。

劇場的な設定、また制作年から見てもゴシックへの移行が近いことを推察させる、

後期ロマネスク美術時代のものではあるが、作者はやや尖端的なセンスをもっている。



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写真 : La Virgen de la Caridad (El Greco)


 年度初めはどう云ったテーマにしようかと迷ったが、神の母の慈悲が溢れ出る幸せなこの絵にしようと思った:


 
「身振り」という言葉は書籍の題名で時々見かける。

時代によって所謂「所作」もその様相が異なる。

今回は「手の様相=手振りgesto」について考えてみたい。



 マニエリズムの代表的な画家といわれる16世紀のグレコ(1541-1614)の

作品は、マドリードのプラド美術館やトレド大聖堂など、

これまで数え切れないほど何度も見てきたが、

縦に長く伸び浮遊するが如き上昇感をもつ躯体、

渋い光の処理など特異な画法を用いて描いているため、

極めて霊性豊かでいつまでも心に染み入るように残っている。



 私にとって、もう一つ特徴的に目を奪われるのは、絵の主人公の「手振り」である。

このトレドの「聖母の慈悲」

(所在:Capilla mayor del Hospital de la Caridad de Illescas)の

「手振り」の左右の手指は何と優しく衆生にあまねく慈悲を

垂れているのであろうか。



 聖母の顔の相対的な小ささは苦にならず、身体の比例配分をまるで

気にせずに、きわめてロマネスク的な手法を受け継いでいるかのようだ。

それはさておき、この絵では手振りが最も重要な要素である。

グレコならではの背後の光の崇高な処理も、この作品の聖性を一層高めている。

こういった画法処理はマニエリズム手法らしい。

下部の左右の貴族たちの手振りも崇敬の念を表している。




 ロマネスク時代ほど身振り(手振り)が知性的表現として意識された時代はない。

雲の間から差し出された神の救済の手、知性を示す縦長の掌、受容の姿勢など、

この時代にしては精一杯の動きを表現手段にした美術手法であった。



 東京都美術館でGreco絵画展が開催されていて、そろそろ終盤ではないかと思う。

この絵があるかどうか不祥。

                     



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 スペイン・ロマネスク・アカデミー(日本)

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