新潮社 『太宰治集』 より
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回は太宰治(1909-48)を取り上げてみましょう。
私は太宰の小説を初めて読んだのは大学二年生の夏休みで、岐阜県多治見市の実家に帰省していた時でした。
筆者である「私」が、ある男の手記を紹介する体裁をとった代表作『人間失格』(Human Lost)の読後感は畢竟侘しいものでした。
彼は津軽の大地主の六男に生まれ、秀才とうたわれながら左翼運動に加わって挫折、楽物中毒になり、虚実織り交ぜた人生を無頼に送り、最後はそう好きでもない女を道ずれに多摩川上水に入水自殺しています。
ずいぶん年月が経って、1999年に太宰の全作品153篇を一冊にまとめた『ザ・太宰治』を買い求め、今も本棚にありますが、その中に「ロマネスク」という小品(1934年同人雑誌12月号「青い花」に掲載)が収録されています。
たまたま手持ちの奥野健夫著『太宰治』(文春・1975)に、
≪「ロマネスク」なども、滑稽な出鱈目に満ち満ちていますが、これは、すこし、すさんでいますから、あまりおすすめできませんと後に語っているが、太宰治の奔放な才能をいかんなく発揮した初期の傑作である―中略―リアリズム万能の当時の純文学意識を破った太宰の天才ぶりを改めて認識できる。≫と述べています。
また猪瀬直樹著『太宰治伝―ピカレスク』(小学館・2001)に、
≪沼津郊外の静浦村の造り酒屋で静養した折、そこの主人坂部啓次郎の弟坂部武郎と馬が合った。武郎は三歳年下の妹愛子と三島に酒屋の支店を出したと連絡してきた。やるぞ、やるぞ。内心で叫び、息巻いて、真夏、三島へ行く決心をする≫。
次いで、≪同人雑誌『青い花』を発刊するための会合で,修二(筆者注:津島修二=太宰のこと)は三島で書いた「ロマネスク」をすでに用意してあり、意気込んで乗り込んだ。だが、初会合は大荒れに荒れた≫。
さらに、芥川賞規定の期間昭和十年一月号より六月号までの各新聞雑誌発表の作品との定めに合わず、
≪三島で書いた渾身の作品「ロマネスク」はすでに『青い花』に乗せてしまった≫とあります。
これらの記述から見ると太宰は短編「ロマネスク」を真面目に書いたようです。
彼についての書物は数多く刊行されていますが、太宰がこの作品に「ロマネスク」というタイトルを何故つけかについて寸評でもまだお目にかかったことはありません。
内容は奇異な物語ですが、ロマネスク美術愛好者にとっては少々気がひかれるタイトルです。
私が随意に短く要約しますと;
«津軽の国に庄屋で鍬形惣助という男の初めての男の子太郎は、生まれるとすぐ大きいあくびをした。やることなすことが変わっていて、予言能力も備えた子であった。生来の怠け者だったが、村を襲うことになる洪水を予言するような言動をしたり、お殿様を恐れもせず直訴したりして、村を救うこともしたが、所詮惣助の阿呆様であった。蔵に入り込み、仙術の本を見つけ一年ほど蔵の中で修行して、ネズミと鷲と蛇になるほうも会得した。太郎は十六歳で隣の油屋の娘に恋をし、ネズミや蛇に変身しその娘の笛の音を聞くことを好んだ。そして自分の仙術でもって、良い男になるように念じはじめ、十日目にその念願を成就することができ、その出来栄えを鏡の中に確かめた。驚いたことに色がぬけるように白く、頬はしもぶくれでもち肌、眼はあくまでも細く、口髭がたらりと生えていた。天平時代の仏像の顔のようで、股間の逸物までだらりとふやけていたのである。仙術の本が古すぎたのであった。大変落胆した太郎は元に戻るべく苦労したが駄目だった。蔵からむなしく出てきた太郎は、開いた口のふさがらずにいる両親に一部始終の訳を明かしたが、恥ずかしくて村に居続けることもできず、飄然と旅に出た。満月の輪郭が潤んでいるのは彼の眼のせいであった。彼はぼんやり立ったままで、面白くもない、面白くもないという呪文を何百ぺんもくりかえし低音でとなえ無我の境地に入り込んだ。それが太郎の仙術の奥義であった。»
これだけです。さて皆さま、太宰が何故この小品に「ロマネスク」という題をつけ、何を言わんとしたのでしょうか、ご自分なりに推察してみてください。
抽象や仮象といった芸術感覚、就中美醜(デフォルメ―醜美)などロマネスク独自の内面的、感性的要素に留意しながら推理すると、いくぶんでも太宰の心が読めるでしょう、芥川臭い感じがしますが。
[参考]1958年雑誌『新潮』に掲載された坂口安吾の評論
「不良少年とキリスト-太宰治」に
太宰について下記のような記述があります:
«芥川も、太宰も、不良少年の自殺であった。不良少年の中でも、特別、弱虫、泣き虫小僧であったのである。腕力じゃ勝てない。理屈でも、勝てない。そこで、何か、ひきあいを出して、その権威によって、自己主張をする。芥川も、太宰も、キリストをひきあいに出した。弱虫の泣き虫小僧の不良少年の手である。
ドストエフスキーになると、不良少年でも、ガキ大将の腕っ節があった。奴ぐらいの腕っ節になると、キリストだの何だのヒキアイに出さぬ。自分がキリストになる。»(原文通り)
・・・・・・・・・・