写真:「聖マルティンが自分の衣を貧者に与える」
ヴィック司教座美術館/板絵
‟LAS RUTAS DEL ROMÁNICO(1965)”より
ロマネスク美術の図像学的見地からみて、キリスト教において数多くみられるシンボルの図像の中で、「美徳と悪徳」の象徴化した図像ほど多彩なものはないでしょう。
このテーマに関する基本書としては、私の手持ちの中では次の三冊が遍く知られた恰好のものでしょう:
・エミール・マール『ロマネスク図像学上下』図書刊行会、1996
・中森義宗『キリスト教シンボル図典』東信堂、1993
・辻佐保子『中世絵画を読む』岩波書店、1987
イスパニア生まれのラテン詩人プルデンティウス(348-410年頃)『美徳と悪徳の戦い』によれば、
美徳とは、
三対神徳「信徳Fides」、「望徳Spes」、「愛得Caritas」
四枢要徳「節制Temperantia」、「賢明Prudentia」、
「剛毅Fortitudo」、「正義Justitia」
(中世末には「謙遜Humilitas」が加わった」
悪徳とは、
七罪源「傲慢Sperbia」、「貪欲Avaritia」、「邪淫Luxuria」、
「嫉妬Invidia」、「貪食Gula」、「憤怒Ira」、
「怠惰Pigritia」
(「虚栄Vanitas」が加わることも多い)
イスパニア・ロマネスク絵画では写本に擬人化されていて、これらの概念は個別に表出されています。
また彫刻物では、柱頭や軒蛇腹の持ち送り(西語ではmodillones またはcanecillos)に、個性的にまた多彩に表出されています。
具体的には、例えば
SanMartin de Artaiz(Navarra),
Iglesia de la Inmaculada Concepción.Crespos(Burgos)
などの教会の軒下に思わずぎょっとするような卑猥な彫刻物が並んでいますが、その源泉は美徳や悪徳(人間としてしてはならないこと)を対置して世俗の民衆に示し警鐘を鳴らすといった思想的背景が、当時のキリスト教会の民衆教育の一環としてありました。
また現代的解釈では、反対概念を対置するとき弁証法的には美徳を止揚していると見られます。
写本では死者の霊魂をめぐる美徳と悪徳の擬人化されたせめぎあいの図像がよく見られますが、救済(昇天)か破滅(地獄)かが決まる運命的な自らの姿として、中世の人々の心をとらえる図像であったと推察されます。
これらの図像はそれぞれ対応する反対概念と対置されることも多く、
例えば;
信仰と偶像崇拝
貞節と淫欲
謙遜と傲慢
慈悲(寛大)と貪欲などがあります。
“聖マルティンが貧者に自分のマントを恵む情景と対置して、首に銭入れをつるし悪魔とつるむ貪欲な男”を描いた板絵は、「慈悲」と「貪欲」の典型的な例といえます。
このように「象徴概念」は間接話法ながら、西欧中世ロマネスク美術の知性と云えましょう。