勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2016年07月

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写真:「聖マルティンが自分の衣を貧者に与える」
      ヴィック司教座美術館/板絵
      ‟LAS RUTAS DEL ROMÁNICO(1965)”より




 ロマネスク美術の図像学的見地からみて、キリスト教において数多くみられるシンボルの図像の中で、「美徳と悪徳」の象徴化した図像ほど多彩なものはないでしょう。



 このテーマに関する基本書としては、私の手持ちの中では次の三冊が遍く知られた恰好のものでしょう:
  ・エミール・マール『ロマネスク図像学上下』図書刊行会、1996
  ・中森義宗『キリスト教シンボル図典』東信堂、1993
  ・辻佐保子『中世絵画を読む』岩波書店、1987
 
 
イスパニア生まれのラテン詩人プルデンティウス(348410年頃)『美徳と悪徳の戦い』によれば、
 
美徳とは、
三対神徳「信徳Fides」、「望徳Spes」、「愛得Caritas
四枢要徳「節制Temperantia」、「賢明Prudentia」、
    「剛毅Fortitudo」、「正義Justitia」        
    (中世末には「謙遜Humilitas」が加わった」
 
悪徳とは、
七罪源「傲慢Sperbia」、「貪欲Avaritia」、「邪淫Luxuria」、
     「嫉妬Invidia」、「貪食Gula」、「憤怒Ira」、
   「怠惰Pigritia
    (「虚栄Vanitas」が加わることも多い)
 
イスパニア・ロマネスク絵画では写本に擬人化されていて、これらの概念は個別に表出されています。
また彫刻物では、柱頭や軒蛇腹の持ち送り(西語ではmodillones またはcanecillos)に、個性的にまた多彩に表出されています。
 
具体的には、例えば
SanMartin de ArtaizNavarra),
Iglesia de la Inmaculada Concepción.CresposBurgos
などの教会の軒下に思わずぎょっとするような卑猥な彫刻物が並んでいますが、その源泉は美徳や悪徳(人間としてしてはならないこと)を対置して世俗の民衆に示し警鐘を鳴らすといった思想的背景が、当時のキリスト教会の民衆教育の一環としてありました。

また現代的解釈では、反対概念を対置するとき弁証法的には美徳を止揚していると見られます。
 
写本では死者の霊魂をめぐる美徳と悪徳の擬人化されたせめぎあいの図像がよく見られますが、救済(昇天)か破滅(地獄)かが決まる運命的な自らの姿として、中世の人々の心をとらえる図像であったと推察されます。

これらの図像はそれぞれ対応する反対概念と対置されることも多く、
例えば;
     信仰と偶像崇拝
     貞節と淫欲
     謙遜と傲慢
     慈悲(寛大)と貪欲などがあります。
 

 “聖マルティンが貧者に自分のマントを恵む情景と対置して、首に銭入れをつるし悪魔とつるむ貪欲な男”を描いた板絵は、「慈悲」と「貪欲」の典型的な例といえます。
     
 
このように「象徴概念」は間接話法ながら、西欧中世ロマネスク美術の知性と云えましょう。
 

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写真:〝MONASTERIOS ROMÁNICOS Y PRODUCCIÓN ARTÍSTICA″より


今から十数年前の早朝、東京駅北口を出たところの信号の傍らにただずんで、同僚のゴルフ仲間が、車でピックアップしてくれるのを待っていました。
 
出勤途上の人々が、流れるように歩道を横断していくのをぼっと眺めていました。皆急ぎ足で、渋面を刻み、黙りこくって過ぎ去って行きました。
 
お互いに二度と合うこともない同胞たちその時に感じた孤独感は、それは恐ろしいほどでした。
 
大都市の一空間を、それぞれの人が一定の方向(官公庁や会社)に追い立てられてゆくように流れてゆく。
 
 
 
建築家の伊藤豊雄さんの著書『風の変様体―建築クロニクル』1989年に青土社から出版されていますが、その文章はやや難解です。
 
建築家ですから藝術論に通暁されているのは当然としても、なかなか味のある文学的な力作だと思いました。
 
年別に彼の論評をまとめたもので、その中に1976年に雑誌「新建築」増刊11月号に掲載された「ロマネスクの行方」という表題の論評が入っています。
 
この方は著名な建築家・篠原一男氏の成城の戸建て住宅などについて好意的な論評をされていて、私は昔成城に住んでいただけに余計に興味深く拝見させていただきました。
 
都会のビル群の隙間の、冷たい幾何学的な情景を「直方体の森」、「同相の谷」、「矩形の空」、「都市という砂漠」などと表現されていますが、その感覚は芸術的でもありまた文学的でもあります。
 
 
では何故この論評のタイトルを「ロマネスクの行方」となさったのでしょうか。
 
この具体的な意味合いについて、伊藤豊雄先生は特に言及されておられませんので、西欧ロマネスク美術を研究してきた人間として、その心を私は次のように推察しています。
 
当該論評に、ロマネスク的要素の喪失と思われる概念に触れたところが三箇所あります。
 
第一に「象徴」という概念、第二に「シンメトリー」(私はこの言葉を文字通り“対称性”と看做します)、第三に「抽象化された空間形式」という概念で、先の篠原一男先生の設計された住宅は、これら三つの<ロマネスク要素の喪失>(この表現があまり当を得ていないなら御容赦願います)だと捉えられた、と解します。
 
 
それにしても浸み入るような都会の孤独は、デフォルメ(ロマネスク的抽象)され、そして再構築された抽象的で象徴的なデザインが癒してくれるのかもしれません。
                  
 

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