勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2016年12月

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堂本印象「アッシジ」






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堂本印象「アンティーブ」





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横尾忠則「暗夜行路 眠れない街」(絵葉書より)
 


今年もあと少し、私は今日が誕生日で83歳になりました。

私の家系は男子系が皆早世で、自分だけが思いもかけずこの年まで生き延びましたが、毎日が体の不調との戦いです。

今年は月二回ペースで、主としてロマネスク美術を思わせるような様々な事柄について、気ままに綴ってきましたが、おかげでボケないでこの年まで来ました。
 

年内は今日で区切りなので、今回はロマネスクから離れて気楽な身近の話題に浮遊しましょう:
 

私事ながら、私が就職したばかりの1950年代中頃のことですが、京都山科に住んでいた父が、日本画家・堂本印象画伯(18911975)のことを折に触れ話題にしていたので、なんとなくこの方が相当なレベルの人だと思っていました。

寺社仏閣の障壁画も描いていた方だそうです。

その頃の私は、絵にはあまり興味がなく、亡父は京都の臨済宗・妙心寺にゆかりのあった人なので、この画家とは単なる知り合いだろうと思っていました。

今は京都の衣笠山麓に奇抜な堂本印象美術館もあり、彼の絵は大層な値段で取引されているそうです。
 

 行きつけの東京高円寺の古書会館で、この度偶々かの画家の著作『美の足音』(人文書院1945)(足の字は旧漢字『跫音』となっている)が目に留まり、珍しい絶版本なので早速買い求めました。亡父の引き合わせかもしれません。
 

この本は副題に“ヨーロッパ美術紀行”とあり、当時の日本画家としてはなかなか難しい海外旅行をされた方で、紀行文の中の素描には得も言えぬ趣があり、中にはマドリッドの闘牛風景もあります。
 


 また先頃、横尾忠則の絵に惹かれて、著作や画集に目を通しました。

 中でも「Y字路」(三叉路)に、彼が異常なほど執念を燃やし描き続けたことに興味をもちました。

 人生には時たま「岐路」に遭遇し、どちらの道を選ぶべきか迷うことがあります。

 その時々の岐路の選択が自らの人生行路を決めるので、「三叉路」は運命的で象徴的です。

 しかも風景画にしては特徴的なこのテーマは、人にとり運命的な舞台を提供します。

 でもどちらに行くかを選ぶのは主観ですが、所詮全能の神の御業で、すべては神の御導きによるのですが
 
 
 上記の堂本印象の書でも、ヨーロッパの寒村の「三叉路」がいくつか描かれています。

 冒頭の白黒の口絵の一つは、イタリアのアッシジで、かのジオットが壁画を描いたサン・フランチェスコ聖堂のある街です。

 彼はこの風景を描き、その添え文に;
“村の寺からも小さな鐘の音が聞こえてくる。静かな静寂さで、山下の農家の煙出しからあがる炊煙が、薄紫に真直ぐに立ちのぼって空に消えてゆく。”(原文)と、叙述しています。
 
もう一つは南フランスのアンティーブの街(ピカソの美術館がある)の三叉路で、“狭い道が縦横に通っていて、市場などもありますが、どう見ても一漁村の避暑場”です。

しかし彼の場合横尾忠則のような哲学的な深い想念はもっていなかったように思えます。

 
一方横尾忠則の油絵の表題は「Anya Kouro ofInsomnia(暗夜行路 眠れない街 )と記され、この意はおそらく有名な志賀直哉の『暗夜行路』から示唆されたものでしょうが、言い得て妙な題だと思います。

なんという魅力的な絵でしょう!

孤独で寂莫とした宵の風景の空に浮かぶ運命を象徴したような不気味な雲…Y字路は、さあお前はこれからどうすると迫っているかのようです。

 
                          2016.12.20

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グレコ「聖霊降臨」(岩波書店『プラド美術館』より)


 ご承知のように、ロマネスク彫刻や絵画の構図が他の美術様式と決定的に異質なのは、“デフォルメ=奇形”、“不均衡=非対称的”、“万有引力の法則から外れ、像は浮遊”、“逆遠近法”などの手法を用い、客観性・写実性を全く無視した位相が表出されることです。

 マドリッドのプラド美術館やトレドの聖堂などの絵をご覧になった方は、私がこのように言うと、グレコの絵のことを連想されるかもしれません。

 この一文の表題を「酔眼の」としたのは、グレコの絵が普通の冷めた眼では描かれておらず、写実性から遊離した酔っぱらいの眼で描いたものだと比喩的metaforicoに言いたかったからです。

 このような表現でグレコを評したのは、実はかの有名なエウヘニオ・ドールスで、拙著『神の美術-イスパニア・ロマネスクの世界でも引用したように、

«エル・グレコにおいては、パスカルのいう“理性の知らざる心情の道理”が勝利している。動的なもの、陶酔と神秘、熱情の絶対優位が支配しているのである彼は酔っていたのだ。神の与える酒と薄明に酔っていたのだ。»
―神吉敬三訳『プラド美術館の三時間』美術出版社、1973
 

 エル・グレコ(1541-1614)はギリシャのクレタ島で生まれ、イスパニアの地に来たのは1577年頃で、通常マニエリスムの画家と云われています。

 私はトレドで、彼の代表作である壁画「コンデ・オルガスの埋葬」他を、10年間にわたるマドリッド駐在中に数えきれぬほど現場で観ましたが、この時はロマネスクの何たるか、そしてその手法に似通った特徴があるとは露知らず、この10年間で56回彼の地を訪れるたびに、グレコの絵が何とロマネスク的手法と酷似しているのかと、改めてまじまじ見つめてきました。

 その手法は決して唐突で滑稽なものではなく、私たちは「醜」と「滑稽」とを混同してはならないのであって、醜は醜美に通じまた「デフォルメ」や「不均衡」は抽象性の効果であり、精神化の手法と見做すべきものです。
 
 グレコは別名<炎の画家>といわれていますが、炎のように上昇気流に乗った画法であり、長く伸びた姿態や独特な色、青や黄色といった崇高な色彩感覚と相まって幽玄なロマネスク的仮象の世界に私たちを誘います。

                       2016.12.05



『神の美術-イスパニア・ロマネスクの世界』と前著『イスパニア・ロマネスク美術』は、現在東京神田の三省堂書店神保町本店の芸術コーナーで、ならびにamazonで販売されています。


 


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