勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2017年09月


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岸田劉生「二人麗子像」200703.27日経


 

日本語になっている“バーチャル”という語は本来光学用語の「仮の」とか「虚の」意味らしい。美術(絵画や彫刻)の世界でこの概念が儘出てきます。
 

 日経新聞の「日本美術のアバンギャルド十選」に、岸田劉生の油絵「二人麗子図」に関する一文が掲載されていて、彼の数ある麗子像の中でもこの絵は変わっています。

  つまり一つの人格がかりそめに二人の姿として現れているのです。

 こういった手法は元来禅の狷介な思想と云われるものの中で、普賢・菩薩の化身と云われ、いわばアイドル的に用いられることがありました。

 察するに画家のアバンギャルド的な遊びみたいなものでしょう。
 

     
 イスパニアの地、ナバラ州の寒村アルタイスのSan Martín de Tours教会(一廊式)の外壁を取り巻く軒下の持ち送りとか支持体メトープには奇妙な造作物が存在します。
  
 ここに重複して三面に彫られた人の顔があり、私の推察ではこれらの顔は先史時代のケルト族の神像ロクベルトスに想を得たのではないかと思います。

 巨大な眼、優雅な神秘的な鼻から口にかけての流れるような造形物が三面重複して、バーチャルに神秘的な風情をかこっています。

 私はこの造形物は拙著★でも触れたように恐らく「三位一体」というキリスト教の高位の教義をバーチャルに具体化したものだと考えています。
(★『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』p.266-269参照)


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 持ち送り三面重複像(『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』より)
 

 イスパニア・ロマネスク美術時代の彫刻物や絵画(特に写本)にこの手法がいくつか見られます。

 所謂特にこれといった意味はなく、見るものをしてぎょっとさせる示威的効果を狙ったものでしょう。
 
 
2017.09.20


 
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 たまにはロマネスク美術の枠組みから離れて、没後90年目に当たる今年に、芥川龍之介のことに触れてみたいと思います。
 

 私は芥川の天才的で一刀両断的な叡智に溢れた文章が好きで、今から丁度20年ほど前に全集まで買い込んだほどです。
 
 先頃、岩波文庫から石割透編『芥川追想』が刊行されました。

 この本は彼の先輩、友人、知人や身内たち同時代人48人の回想を編集したもので、私のような芥川の能力に傾倒している者にとっては垂涎の的で“芥川の作品群生成の秘密を遠望”(扉文)させてくれています。

 同時に芥川の天才ぶり、少々嫌味な気取り、世情への対し方など久しぶりに面白く読みました。
 

 芥川はキリスト教に惹かれ、信者には至りませんでしたが、最初「尾形了斎覚書」(全集2)、晩年の頃「西方の人」及び「続西方の人」という、私にとりやや抵抗を覚えるような小文を書いています(全集15巻)
 
 彼を偲んで、詩人で芥川の友人の一人土屋文明が、上記『芥川追想』の中で、次のように描写しています。

土屋文明―芥川君をしのびて:

<斎藤茂吉氏は医者だから何か心懸かりある面持ちで芥川君の白布をとった。芥川君の面もちは僕の会った内で最も平和なる相であった。僅かに開いた唇のうちのややみだれて煙草に染みた歯をみると、僕には初めて教室に見た頃の秀麗なる面影がありありと浮かび出るように思われた。安らかな、羨望もなお及ばないその一生は静かに清い終わりを示していた。>


 
 芥川は確かに広津和郎がいうように、明晰すぎる頭脳に生活力がついていけ
なかった点に最大の不幸があったと思われます:
 
<自分は彼の死に、哲学的なものをあまり感じない。休息なき頭は彼の背負っていた十字架だった。催眠薬の少量に拠っての一時的休息ではなく、もう二度と醒めることのない永遠の休息に。>                    
                       
               
                        -鎮魂-

2017.09.10
 
 
 
 

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写真1:「R荘Villa Rp.60、油絵、26.522.0㎝、1919



スイスで刊行されたフランス語の本『KLEE, Etude Biographique et Critique』(Nello Ponente著、伊語からAlbert Skiraが仏語に翻訳したもの)を古書店でたまたま見つけて買ってきました。
 

パウル・クレーPaul Klee1879-1940)の絵はなぜこんなに魅力があるのかと考え込み、いつまでも眺めながら時間の経つのを忘れています。

彼はスイス生まれで、生涯の大部分をドイツで過ごした、表現主義、超現実主義の作風を駆使したいずれの派にも属さない画家ですが、カンディンスキーらとだけはともに青騎士グループを結成し、バウハウスでも教鞭をとった人です。
 
 この本には、彼の膨大な作品の内、54枚の絵が納められています。

 そのうちから二枚を選んでここに掲載し、私なりに感想を述べてみましょう:
 

上の写真1が、一番初めに目に飛び込んできました。

一体この絵はどのような意図を以て描かれたのだろうかと思案しました―右下の「R」という文字は何だろう?

表題のVillaというイタリア語の意味は別荘のことだろうと目星をつけ、まじまじと奥の方に描かれている豪邸を凝視しましたが、これは初め教会ではないかとも思いました。

左下の十字架のような造形でそう思ったのです。

しかしどうもそうではなさそうで、鐘楼もないし正面玄関や屋根の造作が違うと思い定め、矢張りこの建物は「荘」だと納得しました。
(二十数年以上前に、会社のスペイン法人に駐在していた折、欧州支店長会議がミラノの北東にある有名なリゾート地で湖畔にある“Villa d’este”(ヘミングウエイの『武器よさらば』でもこの辺りが出てくる)で行われたことがあり、Villaという呼称は別荘のことだと記憶していました(因みにイスパニア語でも同じ)
 

この絵は特にどうといった趣があるわけでもありませんが、この別荘の造形が、矩形や三角形、四角形という幾何学的形相となっているので、Kleeは造形的に「Rをイメージしたのではないかと思います。

R(直線、斜線、曲線の集まり)の右上の曲線を、この一本道の曲がりに擬えたのではないかと推定します。直線と曲線の対照的な対置、「荘」の色彩構成はカンディンスキーの色彩理論にほぼ合致して見事な対比色をなしています。前衛画家の典型的な抽象的手法を感じます。

こうこういった幾何学的造形の元を辿ればイスラムの造形であり、西欧では910世紀(イスラム統治)のイスパニア・ロマネスク美術に多大な影響を与えその中に組み込まれたモサラべ様式、後の1213世紀のムデハール様式の基本的造形です。


* * * * *


二番目の絵は、「死と焔La Mort et le Feu」と題した、ややごてごてした絵具で描いた油絵で、第一番目の絵から19年後に描かれたものなので、その作風は相当変化しています。


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写真2:「死と焔La Mort et le Feup.115、油絵・糊絵具、46441940


それは単なる造形的な色彩の組み合わせ的なものから、本質的なものまた思索的、哲学的なものへのシフトが感じられます。

クレーにとって、死は破滅ではなく、生の完成としてとらえていたのではないでしょうか。

この絵には稚拙な謎めいた微笑を浮かべた、青白い「死」が正面に描かれています。


“右端の棒みたいなものを持った男が、死の捧げもつ金色のふしぎな球体に向かって近づいてゆく。それは、死をこえた彼方への前進を象徴するかのようだ。グローマンは、バックの燃える赤と、死の顔の白みがかった青とを、火と水の象徴だといい、そこに死の勝利を否定する純粋な自然の諸元素の喚起をみている。”(大岡信『クレー』新潮美術文庫501988より引用)
詩人大岡の見方は正鵠を得、またグローマンの解読はなるほどと思わせます。
 

この第二番目の絵のように、「死」を哲学的にその本質を抽象して描き出す手法は、正に西欧中世の「ロマネスク美術の象徴化と抽象性」に符合すると云えるのではないでしょうか。

世代の違い(8世紀)、哲学的美術と宗教的美術の違いを越えても所詮芸術家の魅力的な手法は似たようなものなのでしょう。
 
2017.09.05

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