写真:サント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院 回廊「エッサイの木」
(前回6月5日の続編です)
・12世紀: 夢見の復活―宗教領域へ
12世紀は中世において最もキリスト教が隆盛を極め、特にイスパニアにおいてはサンティアゴ巡礼路周辺を中心に聖堂や修道院が林立し、ロマネスク美術もその盛期を謳歌しました。当然夢見の概念は図像化され、固有の美術様式として具体的に数多く登場します-「夢見る人像」或いは「眠っている人像」の図形が、ロマネスク的に彫刻や絵画に頻繁に現れました。
1. 聖書
ロマネスク図像の基本は言うまでもなく旧約・新約聖書です。
Le Goffによれば、旧約聖書には43、新約聖書には9の夢見の図像が存在すると云っていますが、おそらくイベリア半島の場合、新約においてはもっとあるというのが通説です。
とくにキリストの幼年期と受難の場面に集中し、しかもそれらはほとんど回廊の柱頭彫刻に存在すると云はれています。
その他聖堂の後陣に旧約聖書の情景が壁画として描かれる場合がありますが、そこに夢見の図像があり、一方新約聖書の情景では例えばアラゴン・ピレネーのSantos Julian y Basilisa de Bagues教会の主祭室壁画に見られます。
1-1旧約聖書の場合
旧約聖書の大きな表紙の挿絵(10世紀以降の細密画)、マギの王たち、占い師、予言者などの夢見、創世記のファラオ-ユダヤ人ヨセフ、ダニエル書におけるナブコドノソール(1162年のレオンのサン・イシドーロ聖書-lam.1細密画にこの王が頬に手を当て眠って夢を見ています。また12世紀末のパンプローナの聖書に、同王の夢見の情景が描かれています。)
次に旧約の16人の預言者の情景は、サン・イシドーロ教会に蔵されている『語源学』に表現されています-イザヤ、エレミア、エゼキエル及びダニエル。
特に予言者イザヤの図像はイスパニアでは多く普及しました。例えば図像「エッサイの木」、イスラエルの民に向けた予言の数々は『マタイによる福音書』や『ルカによる福音書』などに多く、中世時代に普及しました。
「エッサイの木」下部のエッサイの像は右手を頬に当て横たわる姿勢も一般的で、このような図像の代表的なものは、
サント・ドミンゴ・デラ・カルサーダ修道院周歩廊、
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊(南西の隅)、
コンポステラ大聖堂の中方立
などに表出されています。
イスパニア語で“Trinidad Paternitas”と呼ばれるもので、「三位一体」のことです。
次に旧約・創世記の「アダムとイブ」と関連したもので、一例としてはサラゴサのSantos Julian y Basilisa de Bagues教会の外陣の壁画に“眠っているアダム”の図像が描かれています、神が最初の人間を造られた直後のアダムの姿でしょう、手で頭を支えています。
またアラゴン州ウエスカのSijena修道院のアーチ状の支えに、裸体の横たわったアダムが右掌を頬に当てた彫り物がありますが、この構図はビザンチンの影響を受けた手法だということです。
これによく似たものが「酩酊したノアEmbriagues de Noe」に同様の図像が写本やmusivarios?(意味不明)などにあります。
1-2 新約聖書の場合
記述のごとく、この「夢見」の姿勢は新約聖書には9つの場面で出てきます。
そのうち4場面がキリストの幼少の時代のもので、最もよく図像化される構図です。残りはキリストの公的生活と受難の場面に出てきますが、主として四福音書と聖書外典がその出典です。外典は物語や挿話が多く、中世の民衆が好んだものなので、文学や美術によく図像化されたのです。
キリストの幼少期のもので最も一般的な図像は「生誕」に関わるもので、周知の「お告げ」、「東方三博士の奉献」及び「エジプトへの逃避」などが頻繁に表出されています。
前二者の図像に、母マリアの許嫁でイエスの地上での父聖ヨセフが随伴しますが、彼の姿態は特徴的で薄目を微かに開けて微笑を浮かべているかのような得も言えぬ容貌のものもあり、人目を惹きます。
ヨセフは予め神から天使を通じて夢でイエスの受胎や逃避が必要なことを予告されています。
また『マタイによる福音書』に具体的に記述されていますが、世俗のものでは『El Auto de los Reyes Magos o el Libro de laInfancia y muerte de Cristo』(マギの王たちとキリストの幼年期と死の物語)典礼劇の脚本から想を得て、図像化されたものが大部分です。
聖ヨセフのふて寝というか、眠りの構図は彼単独で表現されることは少なく、ほとんどが聖母マリアの行事とともに表出されます。
イスパニア・ロマネスクの場合の具体例をいくつか挙げるとすれば、殆どが彼は座り、掌で頭を支えて眼を閉じているか半眼の図像です:
―リポイの聖書(11世紀第三四半期のもの)
―ウエスカのSantiago deAguero 教会(西扉口タンパンの「公現Epifania」)
―ブルゴスのGordilla de Sedano教会(主扉口タンパン「公現Epifania」)
本文の冒頭に記したAlicia Miguelez Cavero女史の論文には、上記の情景でヨセフが何故こういった夢見の姿勢で聖処女マリアの傍らに侍っているのか、特に記述はありませんので、この意味を推理してみたいと思います。凡そ睡眠と半眼の仮眠とは本質的に異なります。
上記のイスパニア・ロマネスク彫刻の図像例は後者のものであり、「受胎告知」の場面ではヨセフは頬に掌を当てあたかも仮眠をとっているかのようです。
これらの図像に対する私の見方を述べて終わりにしましょう:
(1) 聖処女マリアの許嫁である彼は、既述のように、既に夢の中で天使を通して自分の許嫁が神の子を宿す「受胎」の予告を受けています。したがって大天使ミカエルの「受胎告知」は予告の実現であり、われ関せずの姿勢で眠っているふりをして、シニカルな微笑となっています。
(2) さりながら、自分の妻になるマリアが、いくら神の子を宿すとは言え、ヨハネにとってはしんどい話で、それが強いて「仮眠」の姿勢として首を傾げ、ややふてくされたような感じを微笑に滲ませているような芸術家の制作意図に、異質な人間的なものを感じます、むべなる哉といったところでしょうか。
20190620