勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2019年06月

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写真:サント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院 回廊「エッサイの木」


 
(前回65日の続編です)
 
12世紀: 夢見の復活―宗教領域へ
12世紀は中世において最もキリスト教が隆盛を極め、特にイスパニアにおいてはサンティアゴ巡礼路周辺を中心に聖堂や修道院が林立し、ロマネスク美術もその盛期を謳歌しました。当然夢見の概念は図像化され、固有の美術様式として具体的に数多く登場します-「夢見る人像」或いは「眠っている人像」の図形が、ロマネスク的に彫刻や絵画に頻繁に現れました。

 
1.         聖書
ロマネスク図像の基本は言うまでもなく旧約・新約聖書です。

Le Goffによれば、旧約聖書には43、新約聖書には9の夢見の図像が存在すると云っていますが、おそらくイベリア半島の場合、新約においてはもっとあるというのが通説です。

とくにキリストの幼年期と受難の場面に集中し、しかもそれらはほとんど回廊の柱頭彫刻に存在すると云はれています。

その他聖堂の後陣に旧約聖書の情景が壁画として描かれる場合がありますが、そこに夢見の図像があり、一方新約聖書の情景では例えばアラゴン・ピレネーのSantos Julian y Basilisa de Bagues教会の主祭室壁画に見られます。
 

1-1旧約聖書の場合
旧約聖書の大きな表紙の挿絵(10世紀以降の細密画)、マギの王たち、占い師、予言者などの夢見、創世記のファラオ-ユダヤ人ヨセフ、ダニエル書におけるナブコドノソール(1162年のレオンのサン・イシドーロ聖書-lam.1細密画にこの王が頬に手を当て眠って夢を見ています。また12世紀末のパンプローナの聖書に、同王の夢見の情景が描かれています。) 
 

次に旧約の16人の預言者の情景は、サン・イシドーロ教会に蔵されている『語源学』に表現されています-イザヤ、エレミア、エゼキエル及びダニエル。

特に予言者イザヤの図像はイスパニアでは多く普及しました。例えば図像「エッサイの木」、イスラエルの民に向けた予言の数々は『マタイによる福音書』や『ルカによる福音書』などに多く、中世時代に普及しました。
 
 「エッサイの木」下部のエッサイの像は右手を頬に当て横たわる姿勢も一般的で、このような図像の代表的なものは、
 
サント・ドミンゴ・デラ・カルサーダ修道院周歩廊、
サント・ドミンゴ・デ・シロス修道院回廊(南西の隅)、
コンポステラ大聖堂の中方立
 
などに表出されています。

イスパニア語で“Trinidad Paternitas”と呼ばれるもので、「三位一体」のことです。
 
  
 
次に旧約・創世記の「アダムとイブ」と関連したもので、一例としてはサラゴサのSantos Julian y Basilisa de Bagues教会の外陣の壁画に“眠っているアダム”の図像が描かれています、神が最初の人間を造られた直後のアダムの姿でしょう、手で頭を支えています。

またアラゴン州ウエスカのSijena修道院のアーチ状の支えに、裸体の横たわったアダムが右掌を頬に当てた彫り物がありますが、この構図はビザンチンの影響を受けた手法だということです。

 これによく似たものが「酩酊したノアEmbriagues de Noe」に同様の図像が写本やmusivarios?(意味不明)などにあります。
 


12 新約聖書の場合
 記述のごとく、この「夢見」の姿勢は新約聖書には9つの場面で出てきます。

 そのうち4場面がキリストの幼少の時代のもので、最もよく図像化される構図です。残りはキリストの公的生活と受難の場面に出てきますが、主として四福音書と聖書外典がその出典です。外典は物語や挿話が多く、中世の民衆が好んだものなので、文学や美術によく図像化されたのです。
 
キリストの幼少期のもので最も一般的な図像は「生誕」に関わるもので、周知の「お告げ」、「東方三博士の奉献」及び「エジプトへの逃避」などが頻繁に表出されています。

前二者の図像に、母マリアの許嫁でイエスの地上での父聖ヨセフが随伴しますが、彼の姿態は特徴的で薄目を微かに開けて微笑を浮かべているかのような得も言えぬ容貌のものもあり、人目を惹きます。

ヨセフは予め神から天使を通じて夢でイエスの受胎や逃避が必要なことを予告されています。

また『マタイによる福音書』に具体的に記述されていますが、世俗のものでは『El Auto de los Reyes Magos o el Libro de laInfancia y muerte de Cristo』(マギの王たちとキリストの幼年期と死の物語)典礼劇の脚本から想を得て、図像化されたものが大部分です。
 
聖ヨセフのふて寝というか、眠りの構図は彼単独で表現されることは少なく、ほとんどが聖母マリアの行事とともに表出されます。

イスパニア・ロマネスクの場合の具体例をいくつか挙げるとすれば、殆どが彼は座り、掌で頭を支えて眼を閉じているか半眼の図像です:
 
 ―リポイの聖書(11世紀第三四半期のもの)
  ―ウエスカのSantiago deAguero 教会(西扉口タンパンの「公現Epifania)
 ―ブルゴスのGordilla de Sedano教会(主扉口タンパン「公現Epifania」)
 
 
 本文の冒頭に記したAlicia Miguelez Cavero女史の論文には、上記の情景でヨセフが何故こういった夢見の姿勢で聖処女マリアの傍らに侍っているのか、特に記述はありませんので、この意味を推理してみたいと思います。凡そ睡眠と半眼の仮眠とは本質的に異なります。

 上記のイスパニア・ロマネスク彫刻の図像例は後者のものであり、「受胎告知」の場面ではヨセフは頬に掌を当てあたかも仮眠をとっているかのようです。
 
これらの図像に対する私の見方を述べて終わりにしましょう:
 
(1)  聖処女マリアの許嫁である彼は、既述のように、既に夢の中で天使を通して自分の許嫁が神の子を宿す「受胎」の予告を受けています。したがって大天使ミカエルの「受胎告知」は予告の実現であり、われ関せずの姿勢で眠っているふりをして、シニカルな微笑となっています。

(2)  さりながら、自分の妻になるマリアが、いくら神の子を宿すとは言え、ヨハネにとってはしんどい話で、それが強いて「仮眠」の姿勢として首を傾げ、ややふてくされたような感じを微笑に滲ませているような芸術家の制作意図に、異質な人間的なものを感じます、むべなる哉といったところでしょうか。
 
 
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 人が夢を見る時の態様には様々なものがあります:-
 

イスパニア・ロマネスク彫刻、とりわけ聖堂の扉口のタンパンとか、修道院の回廊の柱頭などに様々な眠り、片手を頬に当てた人像に出会うことがあります。

こういった姿をとる図像に出会うと、奇異な感じを受けるでしょう。

絵画(壁画、板絵、写本など)の分野にも時たま出てきますが、彫刻ほど多くはありません。
 

この不思議な姿態がロマネスク美術の中で表出されている実例について、レオン大学のAlicia Miguelez Cavero女史の論文が、2007年に他のテーマとともに書物に纏められ、同大学から出版されています(表紙写真掲載);  
 
論文名:
Actitudes gestuales en la iconografia delromanico peninsular hispanoElsueno, el dolor espiritual y otras expresiones similares
邦訳イスパニア・ロマネスク図像における姿態-眠り、心の痛みならびに他の類似の表現)
 

 マドリッドでよく通った美術本専門店“Arteguias”でこの本を求め、帰国後しばらく経った20118月に「スペイン・ロマネスク随想」と題してインターネットにブログの一つとして掲載したのですが、今回はやや違った角度からこのテーマにスポットライトを当ててみました。
 

かの国ではこういった特殊なテーマを取り上げた研究家が輩出していて、各種論文が文献として出版されています。

まことに羨ましいことで、ロマネスク美術は主要大学で学科として成り立ち、有能な教授陣をそろえ組織的に研究されています。

上記の本はイスパニアのみならず、その他の西欧各地においてこれまで発表された通論的なものを集約し、それに加え著者自らの研究内容とともに総合的に執筆されたもので、内容は平易でしかも啓蒙的です。

当然のことながら、このような特殊な動作、姿態のもつ意味を究めるには、キリスト教美術の内容、哲学、西欧中世の慣習、象徴的意味合い、ギリシャ/ローマ時代からの伝承などの理解が必要です。
 

いまだ我が国ではまとまった形で取り上げられたことがないと思いますから、ここではその一部「眠りel sueno」について、当該本(イスパニア語)を参考にしながら見てみましょう。:
 


・身振りのもつ一般的意味
当然ですが、「眠りの身振り」や「痛みの身振り」などの姿態の表出は、単独では意味がなく、その基になる図像の一部として理解しなければなりません。

 「身振りgesto, gesticulacion」とは、ラテン語gestusgesticulatio由来の概念で、人間の体の動きの一つで、大げさでそれとわかる動作(元来中世では身分の低い階層の立ち振る舞いであり、高尚な動作はゆったりとし謙虚で節度あるもの)を言います。

 また「振る舞いactitudes」 は本来感情・感動の表現で、外部世界への伝達のためその表現は劇の場合はやや過剰気味になりますが、日常生活の場面では彫刻や絵画で表すときは、どうしても静的になりがちです。
 


古典古代時代は非言語的表現手段として、また「修辞・比喩」の表現において「夢」は表象的に重要な意味をもっていました。

イスパニア語でel sueño(夢)という語は二つの意味合いがあります。

一つは「眠り」そのものであり、もう一つは「夢見」のことです。

後者の場合は複数形をとるのが普通です。
 


 このel sueñoは古典・古代~中世いずれの時代でも社会的に高貴な人々(ファラオとか皇帝とか、高位の軍人など)にとり、重要な事柄の先見性を示すものでした(例えば政治的決定とか戦の勝ち負けの帰趨など)。
 


・夢のキリスト教的意味
キリスト教における「夢見」には、二つの意味があります。一つは、夢は誘惑をもたらすものとして否定的な考え方です。

つまり原始宗教の悪魔礼拝の名残りで、夢見の内容を悪いものと見做すのです。

純キリスト教的には、神のお告げで、神の命令あるいは忠告と見做しますが、これは古代の名残と云えます。

旧約聖書の創世記4132「ファラオの夢を解く」“el que se haya repetido el sueño de Faraon dos veces, es porque la cosa esfirme de parte de Dios, y Dios se apresura a realizarla
(旧約の邦文:「ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。」の意)
 

聖書の「夢見」に関する記述は殆どの場合、天使を経由して「お告げ」の形でもたらされます。

古典ギリシャ時代にプラトンは、人間の祈りによる願い事を神々に伝え、また反対に神の命ずる内容を人間に伝える役目を悪魔が仲介すると云っています(Diotimaの論争)。

こういう間接的手段が中世のキリスト教に伝承されたと考えられます、大天使ミカエルによる聖処女マリアへの「受胎告知」もそういうことです。
 


・夢見の類型
 夢、夢想、幻想、予言、神託などは夢に起因する概念です。

 4世紀末~7世期初 頭は夢に関するいくつかの文献が出され、キリスト教信仰が広まった時期でもあります。

 ローマ帝国が東西に分かれ、ゲルマン民族の勢力が西欧の主要地域に敷衍しその基盤を固めた時代で、ギリシャ・ローマ文化(哲学、美術、音楽、劇、文学など)が全ヨーロッパに行きわたった時代でもありました。

 夢の類型に関する基本理論が、マクロビオ、大グレゴリオ、イシドーロなどによって開陳され、12世紀頃までにはさらに充実した理論が展開されました。
 

具体的な事実として著名な伝承としては、クリュニー大修道院のグンゾ修道士(病人)に聖ペテロ、聖パウロ、聖エステバンなどが夢に現れ、新聖堂の建設を勧め、ウーゴ修道院長に伝えるよう要請したといった出来事があり、その後彼の病気が平癒したといった事実もあったそうです。

しかし次第に夢の話題は現実世界から遠ざかり、特に東ローマ世界では殆どとりあげられたことはありませんでした。
 
(次回につづく)
20190605

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