勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2019年08月

2019AK


 

 私は生来本好きだったのかもしれません。

 亡父がそうで、家の書斎には大きな本箱がでんと座っていて、漱石全集、芥川全集そして厨川白村集などがぎっしり詰まっていました。

 小学校から帰ると直ぐに本箱の有る書斎の机に鞄を放り投げ、一息ついたものです。

 それらの全集の斑な赤や黒っぽい背表紙が何となく優しく私を迎えていてくれるような気がして、それらの本の中味は何が書いてあるのだろうかと微かな興味を覚えながら眺めていたものです。

 


 元々本箱なるものは、家の主要な装飾の一つであり、知性の一端でもあります。

 母親が陸軍病院で仕事をしていたので、日中は大体一人のことが多く、勢い本箱の前に座っていることが多かったのです。

 米寿に近くなった今でも、大きな本箱が机の右側に沿うように置かれ、種々雑多な本が犇めいています。

 何となくこれらの本たちが順番待ちをしているようで、聊か圧迫感も感じます。


 

 今朝は近所の図書館に、借りた三冊の本を返しに行って、次いで井波律子著『書物の愉しみ』(岩波書店)を借りてきました。

 ぱらぱら頁を捲ると著者は相当な数の本を読んで来られた方で、特に中国に強くその書評は面白く拝読しました。

 この本は521頁もあり、部分的には拾い読みになりましたが、特にこの本のように“書評”となるとなまじっかの読書量ではここまではこなせないでしょう。


 

 私は60代後半の2000年にあるきっかけから、「イスパニア・ロマネスク美術」に関わる書物(ほとんどイスパニア語の書籍)を手当たり次第に選んで読み漁り続けました。

 その結果が著作物として二冊の本にまとめ出版の運びとなりました。

 2008年から現在まで三省堂書店神保町本店で販売されていますが、有難いことにこの手の芸術書は今でも精彩を放っています。

 


 講演などでは「自分は書かされたのだ」と語っています。

 神の意志が私を突き動かしたのだと信じています。

 美術にはそれまで全く素人の私があれだけの神の美術書を書けるはずがありません。

 「書いたのではない、目に見えぬ存在に書かされたのだ」とつくづく思います。

 尊い経験でした。

20190820


Vic VILASEA


ARS HISPANIAE 』より


                                     

イスパニア語で「ロマネスク板絵(祭壇前飾り)」のことを「Pintura romanica de Tabla」と直截的な表現をします。

 この言い方は味も素っ気もありませんが、実は中味は濃く、稚拙な表現ながら当時の大衆
(農民がほとんど)の哀愁が表現され、また手の届くような神の世界が身近に展開します。

 中世時代の農民たちがぞろぞろと首を縮めながら教会の扉口から中に入り祭壇に近づくと、先ず祭壇前飾りである板絵に出合い、その鮮烈な色彩で展開する聖なる情景を目にする貧しい人々に感動と劇場的な効果を与えたことでしょう。

 


イスパニアのロマネスク板絵は、他のヨーロッパ地域を凌駕する名実ともにトップレベルを謳歌していました。

 特にカタルーニャ地方の板絵は数も多く優れたものがあります。

 これらの板絵は祭壇前飾りなので、あまり大きいものはなく、聖書の情景や殉教の情景が描かれていました。


 

絵画の分野で云えば、板絵は壁画と同じように、画家たちの霊的・精神的傾倒もさりながら、制作手法や技術面は壁画と類似したものでした。

 ただ壁画は大きいものが多く、様式的には似ていますが、画面構成はどうしても異ならざるを得ません。

 つまり細かい具体的制作手法において壁画や写本の画家たちの装飾経験を取り入れていますが、板絵の方がややけばけばしく感じるのはむべなる哉です。

 


壁画の画家たちは旅から旅へと渡り歩き、道具を背に担ぎ、、聖職者のスポンサーを見つけ、サイズが多様なものを色んな土地で請け負って仕事をしましたが、その仕事には即興的技能(tarea inprovisadora)と対応の早さ(adaptacion agil) が求められました。

 一方板絵の方は、既述のごとく目的が殆ど祭壇前飾りであり、準備作業に要する繊細な作業工程が要請され、制作工房を構えじっくり仕事をせざるを得なく、また長期に綿密な仕事が求められたため、その実は写本
(細密画)の制作と同じくチームワークによるものでした。

 工房を構えるということは、それなりの人数を抱える必要があるためであり、徒弟制度的な工匠―弟子たちの集団が仕事をこなし、そのレガシ―は後の世まで伝わったのです。

 何故こんなことになったのか、それには板絵の場合は、材料である木材の選別―質、ピンの調整、亀裂の防止など、また連結部の被装、羊皮紙の磨、また漆喰を満遍なく塗る質的作業―など、工房なくしては出来ないような人数と準備的作業が要請されたからです。

 


具体的な制作過程の詳細は長くなるので割愛しますが、一例を述べれば以下の通りです:

「板絵の色の塗り付けについて;伝統的な色とその混合は、不透明な光を通さない平らな板が用いて為され、透明さは一切避ける。ぼかしは擦筆で行い、異なった色調の絵の具で斜線に或いは平行に先端で塗る。奥付の色は黄と紅が最も使われた。色の並置や重なりは基本的法則があり、色彩効果を出すために粗野な模倣色を気ままにその上に置き、色調を出した。」*。    

 

  *Cook y Gudiol RicartARS HISPANIAE Ⅵ-Pintura Romanica,
    Editorial Plus-Ultra, 2da.Edicion, 1980

 

  

 

 

 上記祭壇前飾り(部分)は、元々カタルーニャ伯爵領のErmita de Vilasecaにあったもので、現在はビック司教座美術館に蔵されています。

 この板絵はビック工房作
(ビック大聖堂の近くに在る大聖堂写本所の援助をうけていた板絵工房で制作されたもの、12世紀)となります


 聖母マリアの生涯(「受胎告知」の場面他
)と殉教者サンタ・マルガリータの殉教場面が一枚の板絵に描かれていて、保存状態も良く、聖母マリアの色=生き生きとした古色的な赤色をふんだんに用い、黄色と青の配色の調和がこの絵を特徴的なものに仕上げています。


 元々「焔」
(=聖なる光)を象ったと思われる光輪mandorlaを薄青に彩ったのも変わっていて興味深いものです。

 

2019.08.05 

 

 

 



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