勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2021年07月

きせき【奇跡・奇蹟】とは常識では考えられない神秘的な出来事をいいますが、一般的には宗教的真理の徴(しるし)と見なされるものの時には「奇蹟」を用いるという使い分けがされています。

☆☆☆

80歳の誕生日を迎えてから半年ほど超多忙な日々を送りました。
というのは年甲斐もなく同時に二冊のスペイン語の書物を邦訳したのです。
早朝起きだし深夜まで机にしがみつくという毎日で、これまで幾度も翻訳は手掛けてはいるのですが、70歳代とは身体の疲れがまるで違い閉口しました。
しかし頭の回転は反比例していました。

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 Retablo de Santo Domingo



 

Grimaldola Vida de Santo Domingo』(聖ドミンゴの生涯)

Fray Justo Perez de UrbelEl Claustro de Silos』(シロスの回廊)
  (
Ediciones de la Institución Fernán González,1975)

 

前者は50頁ほどの小冊子です。
後者はスペインにおける代表的な修道院回廊に関して232頁となります。
訳していてのめり込んでしまい、時間の経過を忘れました。


ここでは翻訳の技術論はさておいて.....
 

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主人公のサント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院の修道院長であった聖ドミンゴ・マンソの生前及び死後における多くの奇蹟は、いずれも驚くべき事実として身に迫りました。
今日でも巡礼者が絶えないのが頷けます。


キリスト教神学の定義によると奇蹟は「聖霊の働き」であり、「奇蹟は下位の公理の例外」とされています。
つまり“下位の公理”とは“科学”のことで、奇蹟は其の例外との位置づけです。
因みに“上位の公理”とは“教義”のことです。

平たく言えば、奇蹟を行う人は生前極めて徳が高く、神の思し召しに叶う人だけが神より与えられる超能力を備え聖霊の働きを呼ぶ人のことで、
聖ドミンゴはこの意味で天寿を全うした聖人にして奇蹟を行う人でもありました。
彼の場合それは庶民の日常性の中で起こす庶民的な奇蹟でした。
それは仰天動地の世界を招来したり、政治くさい意外性がないのが特徴です。

 

周知の如くシロスのサント・ドミンゴ大修道院は西欧のロマネスク美術上、その回廊の持つ重要性と意義は特筆に値する優れものです。




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後者は、私にとって血となり肉となった素晴らしい古典的名著であります。
スペイン人の友人が古本屋さんで見つけてくれました。
いくつかの言語に翻訳されていますが、回廊に関する記述としてはこれに優るものはないでしょう。
ところが邦訳されたものは未だ我が国にはないと思います。

この美術の粋に酔いしれるとともに、初代修道院長だった聖ドミンゴの奇蹟の数々を具体的に知るのも、我々は日常性の中にあって神秘なしかも確かな神の恩寵の世界をより身近に感じることになるでしょう。

 
   (勝峰昭 執筆日2014531日)

 

前回は思いがけず大学時代の思い出話に終始してしまいました。

20210712_1初期木版画
初期木版画 作者不詳 
「聖クラウデゥウス、聖三位一体おのよび受難具」

15世紀末、木版手彩色 (筑摩書房 『世界版画初期木版画』1978年より)
(クラウデゥウスは7世紀末のフランス・コンテのベネディクト派の僧院長。死後の奇蹟が知られている。)
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手持ちの書『神と哲学』(エチエンヌ・ジルソン著、三嶋唯義訳、行路社、1992、第五版178頁)ですが、内容はしっかりとまとまっていて版を重ねているだけのことはあります(初版1975年)。

 

前回お話ししたとおり、三島教授と京都の聖トマス学院で当時すれ違っていたのかもしれません。

 

さて「神とキリスト教哲学」というテーマについてです。


まず“キリスト教哲学”という言い方がふつうではないと感じます。

哲学を神学と読み替えるのが筋の様な気がします。

どちらの概念が相手を包含するのかまた全く別物なのかについて種々な尽きることのない議論があります。


本書は四つの項からなり、その講義はあらゆる形而上学的問題のうちで最高の問題のただ一つの面だけを取り扱っている、と始まります。




20210712_2デューラー
デューラー「聖三位一体の礼拝構図」素描、1508

板絵連作のための見取り図。(岩崎美術社 『デューラーの素描』1972年より)
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第二項「神とキリスト教哲学」に最近目を通しました:

・・・・・・・
ギリシャ哲学に先行してユダヤ人たちはすでに哲学に神を見いだしてしまっていて、神が自身をユダヤ人たちに啓示し自らの名を告げ知らせ、本性を説き示す神であり、唯一の神として(世界の第一原理、第一原因)その実在性(実在の宗教的原理と実在の哲学的原理と一致」、

つまり一にして真なる神の存在はモーゼによってユダヤ人に告げ知らされたのですが、

かれらの神との関係は常に「ペルソナ」の関係であり、モーゼが神に名を聞いたところ、神曰く「われは有りて在る者なりEgo sum qui sum(I am who am)」、具体的には「ヤーヴェJahweh」でありその意は「在る者He who is」であると宣ったのです。


そしてユダヤ人たちが神に選ばれた民族における私的な神であることをやめ、福音によって人類すべての普遍的な神となって以来、ギリシャ人たちの哲学的な第一原理は宗教的な第一原理と合致したのです。

いかなるキリスト教哲学者もその哲学において、「われ在り」を最高原理として定立しなければならなくなり、キリスト教哲学はまさしく本来的に「存在的」(existential)であるとなったのです。 

聖アウグティヌスに影響を与えたプロティヌスの「一者」と呼ぶ一体性「一」という概念に付帯した「知性nous: intellect」、つまり認識する主観であり同時に認識される客観でもあり、一者から生み出され一者に下属し、一者から流れ出る個別的なもろもろの存在の「多」を含む思惟(アリストテレス)=神=知性である、と述べられています。
・・・・・・・ 

 

難解な概念です。


この基本的な認識は「三位一体」となって現れ、一者は父なる神、知性は第二のペルソナである子なるキリスト、霊魂は第二の神とされています。

一者父なる唯一の神を共有しないすべてのものは必然的に生まれたもの、創造されたのでなければならないと解されます。


難解なこれらの哲学=神学を、ただ単純にキリストは一者たる神と創造されたすべてのものとの間におられる神と一体化された神だと、私は「三位一体」を理解しています。



(勝峰昭
 執筆日201656日)



20210712_3マザッチョ
マザッチョ 「三位一体」 フレスコ、1426-28年頃

サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂、フィレンツェ。
(大塚美術館 『西洋絵画3001998年より)
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今回は少々脱線して大学時代の思い出です。

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手持ちの書、E・ジルソン著『神と哲学』三嶋唯義訳(行路社、1992年、第5刷(初版1975年)の新版「訳者」序文冒頭に、

 

三嶋教授は京大の学生の頃、聖トマス学院の神父のもとに通い中世哲学の個人指導を得た旨記しておられ、驚きとともに青春の大事な一時期に、場を共にしたことを知り親近感を抱きました(私より一年年長です)。

 

私事で恐縮ですが、実家は岐阜県多治見市で、中央線でD51機関車牽引の列車で、名古屋の大曾根駅まで毎日所謂汽車通学生として旧制愛知一中(後に学制が変わり愛知県立旭丘高校となる〕に通学しました。


 
昭和27年(1952年)に大阪外国語大学・イスパニア語学科に入学し、二年間は大阪府高槻市の学舎、後の二年間は大阪市天王寺区上本町の本校に通いました。

 
外大の四年間は下宿生活で、最初の二年間は、私の兄が京都大学経済学部(旧制高校は名古屋の第八高校)四年生に在学していたので心強くもあり、京都市の阪急沿線桂駅前の下宿(応接間を改良した一間)していました。

 
それに京都という土地柄は何となく古い寺々や名跡が多く、日曜日には時々仏像巡りもしたいという気持ちもあり、わざわざ大学から遠くても仕方ないやという贅沢な気持ちもありました。

 
国元の母親が中学の養護教諭として懸命に働きながら仕送りをしてくれていたので、何とかそんな母親を喜ばせたい一心で、しっかり勉強せねばと思い、


夜は週に一度、友人の紹介で京都河原町出町柳のお屋敷街にひっそりとあった聖トマス学院(欧州のキリスト教宣教師たちの拠点)に、イスパニア語(当時大阪外大ではスペイン語という言い方は禁じられていました)をイスパニア人宣教師に師事し、無償で勉強のご指導を受けました。

 
私の場合、学院のご意向で、カルロス・マルティネス神父が個人的に担当教師として指導してくださいました。

 
イスパニア人としては珍しい背の高い金髪碧眼のハンサムな神父で、優しく人格的にも素晴らしい三十代の方でした。

 
私のみすぼらしい下宿にも訪ねてこられたことがあり、当時一般人は見学できなかった「桂離宮」にも連れて行ってくださったこともありました。

そのとき偶然にも京大の湯川秀樹博士と出会いご挨拶できたのが、名誉な想い出として今でも心に残っています。

博士はノーベル物理学賞を受賞された直後だったと記憶しています、今から六十数年前のことです。

 

 

この課外勉強と同時に四条大宮駅の近くにあったタイプライティング学校にも週二回夜学で通いました。


当時はまだポツポツと指でたたく機械式の武骨なもので、不器用な私は苦労しましたが、幸か不幸か生徒はすべて女性で、まだ十代の新入学生の私に皆親切にしてくれました。

三か月で終了し、何とか打てるようになった時は嬉しくて、夜食に兄が通っていた京都大学の学生食堂に行って、トン汁を自ら奮発したのも懐かしい思い出です。

 
外大では、イスパニア語だけではなく欲張って英文学、英会話、商業英語、ラテン語、フランス語、ポルトガル語などを履修し、


その他、経済学はケインズ、民法、商法、日本美術史など欲張りに単位を履修していましたので、

超多忙で、自ら招いたことながら、良く体が保ったと思うぐらいでした。

 
しかも自炊という不慣れな食生活にもかかわらず栄養失調にもならず、何とか悪戦苦闘しながら予習復習夜学とこなしていきました。

 

四年間の外語生活も瞬く間に過ぎましたが、既述のように欲張って色々な単位を取った中で今でも特に印象に残っているのは、高槻時代の日本美術史の森講師(京大)で、京都の寺々での実地講義は、それは見事なものでした。

「仏像のみかた」には大いなる啓蒙を受けました。

 

 長々と私事を書き連ねてしまいお目をけがしました。

 

「神とキリスト教哲学」については次回にします。


 

 

 (勝峰昭 執筆日201656日)

 

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