勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2022年03月

三島は20代に船旅で初めての世界旅行をしています。

1957(昭和32)12月、ニューヨーク、ロスアンジェルス、サンフランシスコからマドリッド(地名は原文のまま)を訪れた回想録が『三島由紀夫紀行文集』(佐藤秀明編、岩波文庫、2018)にまとまっています。

 

旅先の体験を明晰、清新な文章にしていて、彼の青年時代の豊かで奔放な感受性が窺え、編者がおっしゃるように総じて的確で独創的です。

 

以下一部引用(原文通り)
 

<マドリッドの冬かなり寒い。―中略―ここの新年を迎えるけしきは、気候こそ寒いが、全く南国風で、スペイン女の肩掛けのかげにのぞく黒い瞳も、寒さをすっかり忘れさせてくれるのである。>

 

このように三島は繊細な感受性の一端を垣間見せてくれます。

私事ですが商社時代マドリードに1963年(当時30歳)から8年間を第一回目の駐在をしました。
 

何とも良き時代で、三島の感受性に響いただろう当時のマドリードの風景を思い出します。
 

 

20220322
  
  (手持ちの切手です)


三島はローマからニューヨークに向かい「ミュージアム・オフ・モダン・アート」を観に行って「ゲルニカ」と対面するのですが、その時の印象を次のように語っています。

少々長いですが、三島の独特なゲルニカ観を引用してみます:

 

<白と黒と灰色いて鼠がかった緑ぐらいが、ゲルニカ画中で私の記憶している色である。
 

色彩はこれほど淡泊であり、画面の印象はむしろ古典的である。
 

静的である。
 

何ら直接の血なまぐささは感じられない。
 

画材はもちろん阿鼻叫喚そのものだが、とらえられた苦悶の瞬間は甚だ静粛である。

希臘彫刻の「ニオペの娘」は、背中に神の矢をうけながら、その表情は甚だ静かで、湖のような苦悶の節度をたたえて、見る人の心を動かすことが却って大である。
 

ピカソは同じ効果を狙ったのであろうか?
 

「ゲルニカ」の静けさは同じものではない。

ここでは表情自体はあらわで、苦痛の歪みは極度に達しているのである。
 

その苦痛の緩和が静けさを生み出しているのである。
 

「ゲルニカ」は苦痛の詩というよりは、苦痛の不可能の領域がその画面の詩を生み出している。


一定以上の苦痛が表現不可能のものであること、どんな表情の最大限の歪みも、どんな阿鼻叫喚も、どんな訴えも、どんな涙も、どんな狂的な笑いも、その苦痛を表現するに足りないこと、人間の能力には限りがあるのに、苦痛の能力ばかりは限りも知らないものに思われること.....こういう苦痛の不可能な領域、つまり感覚や感情の表現としての苦痛の不可能な領域にひろがっている苦痛の静けさが「ゲルニカ」の静けさなのである。

この領域にむかって、画面のあらゆる種類の苦痛は、その最大限の表現を試みている。
 

その苦痛の触手を伸ばしている。
 

しかし一つとして苦痛の高みにまで達していない。
 

一人一人の苦痛は失敗している。
 

少なくとも失敗を予感している。
 

その失敗の瞬間をピカソは悉くとらえ、集大成し、あのような静けさに達したものらしい。>

 

この三島の感覚は私も共感します。

一流の文学者の独創的な寄稿文はまた格別です。

 

 

マドリードに駐在をしていた頃には何度も「ゲルニカ」を観に行きましたが、ある時親友の妹(芸大の教授)のお供で訪れた折のこと、彼女は絵の前に佇むとすぐに涙を流されたのです。
 

私はとっさに自分の感受性の無さに聊か忸怩たるものがありました。                                 


 

(勝峰昭 執筆2018.11.20


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FIN

(次回2022.04.02更新予定)

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ロマネスクの「聖性」について

 

これまで世間で「哲学と宗教」という命題は大いに議論されてきましたが「芸術と宗教」とか「聖なる芸術」という命題は、我が国において仏教関連を除き一般論として取り上げられることは少なかったように思います。

 

一方ヨーロッパでは歴史的にも文化的にもキリスト教の普及が圧倒的に大きく、一般論としても個別論としても「宗教と芸術」という命題が伝統的に深遠な命題として論じられてきました。

 

それは何よりも芸術(美術や音楽)が信仰心を向上させるためでしょう。

 

特に西欧の中世時代は、キリスト教が社会的、文化的、芸術的にも圧倒的な存在感を持っていました。

 

「聖なるもの」と異質なものであっても、それを溶かし込む魔力を持っているということもできるでしょう。

 

つまり芸術がもつそれ自体の要素(壁画、彫刻物、装飾、音楽など)が「聖堂という神の家」や「修道院回廊と云う造作」の演出効果によって宗教心(信仰心)が増幅されるからです。

 

いわゆる芸術効果とは、ロマネスク時代(1112世紀頃)には、形而上学的効果と言い換えることができるかもしれません。

 

つまり宗教的な感動と芸術的効果の相乗的な効果といえるのです。

 

(バロック時代1617世紀まで来ると魔術的で行き過ぎることもあります。)

 

信仰心を高めるために、キリスト教教義を人々の感性と理性に働きかけるための最高の芸術ともいえるでしょう。

 

他方「芸術と宗教」という命題を考えるとき、忘却できないことは「典礼と芸術」の関連でしょう。

 

つまり祭祁の持つ芸術との関連については改めて申し上げるまでもないでしょう。

 

有史以前の呪術における仮面の効用がその典型例で、イマージュは祖霊の祭祁に欠くことのできないものでした。

 

「ロマネスクの聖性」という観点から私たちが留意すべきはロマネスク美術への私たちの視線の問題です。

 

この美術に打たれた感動的な出会いからずっと感じてきたのは、この美術はいつも自分の方を向いているという感覚です。

 

つまり現代美術を観るような感覚とは全く異なり、その反対なのです。

 

神に見られている、自分に迫ってくるという感覚とでもいえましょうか。

 

大げさに言えば、煉獄purgatorioにいる自分というか、最後の審判を待つ自分、地獄に行くかもしれない恐れかもしれません。


20220312

(柳宗玄『ロマネスク彫刻の形態学』八坂書房、2006より)

 

この感覚はこの時代の信者(大半が百姓)にとって、恐ろしい美術、教育される自分、道徳的で“してはならぬ”ことを教えられるものだったと推察されます。

 

私たちはロマネスク美術を現場で見るときは、受け身に、それぞれの要素が何を語りかけてくるか、耳を澄まして悟性を研ぎ澄まして対したい。

 

聖性をもつ美術とはそういったものだからです。

 

                         

(勝峰昭 執筆2016.04.21


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FIN

(次回2022.03.22更新予定)

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ロマネスクに表象される「煉獄Purgatorio

キリスト教(カトリック)で、人間の死後の魂が「最後の審判」で、天国か地獄に行くのかが決まる前に一時的にとどまる場所のことを「煉獄」(西語でPurgatorio、ラテン語でPurgatorium)といっています。

通俗的に言えば魂の最後の審判前の「待合室」みたいな処でしょう。

この場所に憩っている魂の一群をロマネスク的手法で柱頭として彫り込んだ、極めて珍しい例がブルゴスの教会La iglesia de Fuente Úrbel , Burgos)の後陣のアーチに存在します。

私はロマネスク美術に親しむようになってからずっと、聖堂の外壁や柱頭に浮かぶ「首」(一つだけの首や集団の首)に非常に惹かれるものを感じ、自分でも不思議に思っていました。

修道士たちが修道院聖堂において集団で瞑想に耽っている姿にもみえますが。

 

自分なりに探ってみると、どうやらこれらの首は死の世界に彷徨し、煉獄にいて、天国に行く日を待ち望んでいる姿ではないかと思うようになりました。


20220302Fuenteurbel

Enciclopedia del Románico より)

 

魂は押し合いへし合い詰め込まれ、一見腹ばいになり、迫りくる運命の審判を前にして、不貞腐れたように口を一文字に閉じ、一様にあきらめ顔をしているかのようです。

 

これらは魂の擬人像なので、面構えには男女の別や個性が感じられません。

 

こういった客観性、写実性から離れて、しかも芸術家の主観的想念から生まれた造形を「仮象apariencia ilusional」(イスパニア語は筆者による造語)といいます。

 

つまり私が講演や著書などでいう<主観と客観の中間にある幻想的造形>といえましょう。

 

イスパニア・ロマネスク彫刻や絵画の領域には、このような幻を見ているような神秘な図像がたくさん現れ、観る人を見えざる世界に招き入れます。

 

またぎょっとするような軽い驚きを感じさせる意図的造形もあります。

 

もし「仮象」と云うものが、いま私たちの現代社会に無いとすれば一体どういうことになるでしょう?―映画、演劇、文楽、文学など仮象がちりばめられた世界が、私たちの目の前からすっかり消えてなくなるでしょう。

 

如何なる人といえども、この宇宙の無限の広大さ、その中に占める我々人間の矮小さは、目を覆いたく程の事実であることを否定できないのではないでしょうか。

 

全能の救済の神の存在を信じて、上記の如く煉獄に休息している亡くなった修道士たちのように、神の裁きを静かに瞑目して待てる境遇を生存している修道士たちも待ち望んだのでしょう。

 

この構図は、それそれらの修道士たちがおそらく実際に仕事をした工匠たちに依頼したものだと思います。


 

勝峰昭執筆2019.08.05

 

 

 

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FIN

次回2022.03.12更新予定

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