勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

2022年06月

Manuscritos iluminados Mozárabes

中世の芸術表現の最も重要なもののひとつ細密画手稿本は、
修道院の専門写本工房において、
芸術的、教義的才能のある修道士たちの手により、
その修道院はもとより、教会または王たちのために創作されたものです。


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 El Cordero sobre el monte Sión. Valladolid, Biblioteca de la Universidad, (ms. 433, f. 145v).

 
【子羊がシオン山の上に立っており、、子羊と共に十四万四千人の者たちがいて、
 その額には子羊の名と、子羊の父の名とが記されていた。
 わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響くのを聞いた。
 わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているようであった。】 
  (ヨハネの黙示録14ー1〜2)

 

前回(2022年6月12日)紹介しましたモサラベ建築の一例、サン・ミゲール・デ・エスカラーダ修道院教会はもともとビシゴード教会の跡地に、コルドバから移住してきたキリスト教徒モサラベの修道士によって9世紀にに建造されました。

今は教会だけが姿をとどめています。

ここにあった修道院はスクリプトリウム(写経所)として聖書や黙示録が製作されていました。
 

西欧の初期中世時代、知の集積所は修道院でした。
 
後に司教座学校もこれに加わります。


手稿本の種類は、ベアト本、聖書、書、詩篇、殉教書(聖人伝)などがあります。

大きく重くて扱いが大変な手稿本は、羊皮紙に手描きされました。
 
それらは半分に折り重ねられて交互に入れこまれ、二重に縫合され表紙がつけられました。
 
貴金属もしくは貴石を嵌めた打ち出しを施し装飾されました。

ラテン語が用いられ、当初はビシゴド様式の小文字が用いられ、のちにカロリング様式へと置き換えられていきました。

テキストの文化的価値は別として興味を引くのは、強烈な色彩を用いた挿絵が挿入されたことです。

これらの絵は細密画と名付けられました。



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モサラベ手稿本は11世紀末〜12世紀初頭までスペインで製作されました。

達筆なビシゴド文字 のテキストは、二つまたは三つに分けられてページを埋め尽くしています。

写字生、挿絵師、場所、日付などのデータは、最終ページの奥付きに記されました。 



最もよく知られたモサラベ手稿本はベアトゥスです。


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   Alfa. Beato de la Biblioteca Nacional, Madrid, (vitr. 14- 2, f. 6).

【神である主、今おられ、かっておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。
「わたしはアルファであり、オメガである。」】 (ヨハネの黙示録1−8)

 

8世紀にリエバナの修道士ベアトによって記された「ヨハネの黙示録注解」には幾つか異なった様式のものがあります。

その魅力は、
赤、青、黄、緑など原色を交互に帯状または斑に使い、ロマネスク美術技法にプラスされたモサラベの独特な様式が神秘性を醸し出しているからではないでしょうか。



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 以上の写真は、この本 ” Los manuscritos españoles ” より


(勝峰昭 執筆:2015年5月25日)

 
【お知らせ】

勝峰昭著『イスパニア・ロマネスク美術』、『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』(光陽出版社)は刊行以来、
三省堂書店神保町本店の美術書コーナーでお取り扱いいただいてきましたが、
2022年5月新社屋建設のため移転縮小となることにより、今後はアマゾンだけでの取扱いとなります。


イスパニア・ロマネスク美術
勝峰 昭
光陽出版社
2008-08T


 






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FIN

(次回2022.07.02更新予定)

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フランス・ロマネスクともイギリスともイタリアのそれとも大きく様子の異なるスペイン・ロマネスク。

スペイン固有の特異な事情がありました。

約8世紀にわたるイスラム統治(711〜1492年)の影響を受け、イスパノ・イスラム美術【Hispano musulmán】がロマネスク美術に組み込まれたのです。

このため西欧の他の地域のロマネスク美術には見られない、スペイン独特の魅力的なロマネスク造形になりました。


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  コルドバの回教寺院 メスキータ


イスラム教が興隆した7世紀頃の空間造形はササン朝ペルシャ様式が原型です。

スペインの西カリフ王国を創立したアブドゥル・ラフマンは、モスク様式を創設したウマイヤ朝(661−750年)最後の後継者の一人で、

イスラム・アッバス王朝がウマイヤ朝を倒し(750年)その男子後継者を皆殺しにした時に、単身アフリカのイスラム圏を通ってスペインに逃れてきました。

こうしてウマイヤ朝美術がコルドバに移植されたのでした。

つまり東方バビロン、シリア、エジプト、グレコロマン、ペルシャなどの美術様式を集約したものが、イスラム教と共にスペインに流入したのです。





◆ モサラベ絵画の一例 

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イエスと十二使徒の祭壇前飾り (MNAC蔵)

 
○ 色彩は多彩色で鮮明
 ○ 遠近法はなく上部ほど遠い
 ○ 目線は揃えている
 ○ 幾何学模様の連続 など特徴的である






砂漠は「空」と「太陽」と「砂」のほかに何もありません。

イスラム教義の単純性、硬直性、徹底性、論理的整合性は、そして何よりもその文化の感性的な抽象性は、かかるところに於いて初めて可能になります。

芸術とくに建築の分野においては、拡散的(横断的広がりと凹凸)、反射的、鉱物的な硬さ、幾何学的な文様装飾など独特な様式的特徴をもちます。


イベリア半島を征服していく過程で、
既存のキリスト教美術(初期キリスト教美術、ビシゴド美術、アストゥリアス美術など)は、
イスパノ化したイスラム美術へ、
そしてモサラベ様式が生まれ、
ついにロマネスク美術に組み込まれ、
少し遅れてムデハル様式となり、

スペイン・ロマネスク美術として、多様性を統一しながらそのアイデンティティーを確立したのでした。




◆ モサラベ様式の代表的な一例

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サン・ミゲール・デ・エスカラーダ修道院教会

(モサラベとは、イスラム統治領域内に住むキリスト教徒のことです。
 彼らはイスラム美術を習得し、キリスト教美術と融合させました。
 レコンキスタの南方進展に呼応して北に逃れ、 
 モサラベ様式をプレ・ロマネスク及びロマネスク美術に導入しました。)

 



◆ ムデハル様式の一例
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  サンタ・マリア・ラ・マヨール参事会教会(トロ)

(ムデハルとはレコンキスタ国土回復の進展とともに、
 キリスト教徒の支配下に入った領域に残って居住したイスラム教徒のことです。
 彼らのもたらしたイスラム美術の一部様式をムデハル様式といいます。)



(勝峰昭執筆2015年5月20日)


【お知らせ】

勝峰昭著『イスパニア・ロマネスク美術』、『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』(光陽出版社)は刊行以来、
三省堂書店神保町本店の美術書コーナーでお取り扱いいただいてきましたが、
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イスパニア・ロマネスク美術
勝峰 昭
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2008-08T


 






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FIN

(次回2022.06.22更新予定)

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英語読みのスペインSpainとは言わず イスパニアHispania と書くことにこだわるのは、

中世時代のかの地はHispaniaだからでその方が臨場感をもって中世に浸れるからです。



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2000年アルタミラの洞窟を再訪するのを目的に、マドリードに降りたちました。

その頃は1日20人限定で入場できて、それも一組5人までと制限がありましたが、
そんななか直にこの目で見ることのできるという至福の時間を持つことができました。


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北に向かう途中ブルゴスのシロス村にあるサント・ドミンゴ大修道院に寄りました。

ちょうどユーロに移行するころのことでチケットは150ペセタとなっています。

2000年2月22日のことです。


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修道院回廊をゆっくり歩いていると四隅にある8枚のパネルのひとつ「トマスの不信」の前で動けなくなりました。

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【イエスはトマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしのわき腹に入れなさい。
 信じない者ではなく、信じるものになりなさい。」
「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」】
  (ヨハネによる福音書20章より)


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あたかも啓示を受けたかのごとくこの美術を究めたいという思いが昂じて

仕事でマドリードに長年駐在していた時には訪れたことのない

田舎のロマネスク聖堂や修道院へと

その後日本から足しげく通うことになりました。

 

El romanico



こうして執筆したのが『イスパニア・ロマネスク美術』(2008年、光陽出版社)です。
 
当初タイトルは『イスパニア・ロマネスク美術探究』を考えていました。
まさに探究という思いだったのです。
 
大学の先輩でもあり元スペイン駐箚特命全権大使の林屋永吉氏に、当時ご相談ご助言いただいてシンプルなタイトルにしたという経緯があります。

スペイン文化省のバルタサール・グラシアン基金の助成を受けて出版できたことに感謝しています。

また日本図書館協会選定図書になったことはありがたいことでした。
 
 

その後、自由に個別のテーマを幅広く掘り下げてこの美術の明らかにしたいと願ってまとめたものが

『神の美術ーイスパニア・ロマネスクの世界』(2011年、光陽出版社)です。

すでに一千年続くというサント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院付属図書館に二冊とも収蔵いただいています。


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なぜこのように夢中になって執筆に駆り立てられたのか、

正直言えば書かされているという他ありません。

何事も「究める」ということは終わりが見えないという思いでいます。
 

(勝峰昭執筆:2011年8月1日)



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    (アルタミラで入手した切手たち)





○今回は節目の日で、著作の紹介をいたしました。(管理人)



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イスパニア・ロマネスク美術
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FIN

(次回2022.06.12更新予定)

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