勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

カテゴリ: イスパニア・ロマネスク美術


私は70歳代にロマネスクを索めてイベリア半島を走り回ったのだが、

 

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画家 大森運夫は、80歳を迎えた頃30年ぶりにロマネスク熱が再燃した、

と個展の案内にあった。

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50歳代に初めてフランスヴェズレー修道院でロマネスク彫刻に出会い、衝撃を受け、

「プリミティブな彫刻のもつ直感的な空間処理、その造形感覚から何を学び何を実行すべきか」

と走り書きしたそうである。

そして、スペインとフランスの修道院巡りへとつながる。





写真家 田沼武能は、

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「ロマネスクの世界には一般に華麗さはない。

 教会にしてもあのゴシック建築はひたすら天に向かってあらゆるものが吸い込まれていく。

 地上にあるものは圧倒される思いでその上昇志向の前に跪く。

 これに対しロマネスクは地上志向かもしれない。

 その土地土地に根を下ろした信仰の姿を形作る。」

とアート・エッセイで語った。





建築家 磯崎新は、

「ロマネスク建築の魅力なんて、そう気安く語れないものだと思う。

 その魅力とは、修道士たちが回廊を巡り..... 彼らだけが感知できたものだっただろう。」

と『ロマネスクのやさしい闇』で語っている。
 

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ロマネスク美術は宗教美術であり、目に見えない世界のものを顕在化する美術ゆえ、

当時としては最高レベルの神学、哲学、聖書学、動物寓意、装飾学的要素などを糾合したものであったのであろう。


(勝峰 昭 2015.10.02)


 

【お知らせ】


勝峰昭著『イスパニア・ロマネスク美術』、『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』(光陽出版社)は刊行以来、
三省堂書店神保町本店の美術書コーナーでお取り扱いいただいてきましたが、
2022年5月新社屋建設のため移転縮小となることにより、今後はアマゾンだけでの取扱いとなります。


イスパニア・ロマネスク美術
勝峰 昭
光陽出版社
2008-08T


 






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(次回2024.04.02更新予定)
 




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「見えざるもの」を「見ゆべきさま」にあらわすには、

  有限の人間の人間的表現を用いて行ないうることではない。


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       神の手 サン・クリメント・デ・タウイ教会(スペイン)



柳宗悦氏(柳宗玄氏の父)は、「中世宗教美術の美はグロテスクの美」と言った。

グロテスクとは奇怪・醜悪という意味ではなく、人間の極限的感情は時にグロテスクに見える以外の表現をとりえないということだ。

柳宗玄氏は『世界文化史大全』の「ヨーロッパ中世」(昭和34年、角川版)を編んで、「見えざるものとの対話」と題した。

中世宗教芸術の本質はつねに「見えざるもの」との内的コミュニケーションをいかにして形体の上に表現するかであった。

ギリシャ彫刻の場合のように「見えざるもの」を人間的形姿の理想化をとおして表現するものとは根本的に異なる。

世俗的・人間的多神教と絶対的一神教の芸術との差異である。


「見えざるもの」を「見ゆべきさま」にあらわすには、有限の人間の人間的表現を用いて行ないうることではない。

それは人々の信仰内容の真実に触れこれを触発すれば足りることであり、また触発すること以上の表現は、帰って人々の信仰の内的真実を拘束することにしかならない。

そこに中世的象徴主義の本質がある、と私は思う。

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以上は私がロマネスク美術にどっぷりと浸かり、貪るように読んだ多くの本の中で特にノートに書き写した堀米庸三氏の文章です。

学研の大系世界の美術シリーズの第11巻『ロマネスク美術』の別冊(1972年7月)から一部抜粋したものです。

ここに載せた写真もすべてこの本からおかりしています。

 
堀米庸三氏の著作『西欧精神の探求』(上)(下)日本放送出版協会、『歴史の意味』中公叢書など、何冊も読みました。



(勝峰 昭)

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         洗礼盤 ジェルミニー・デ・プレ(フランス)



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         マティルド王妃の刺繍 バイユー司教区美術館

 

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     サン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会

プレロマネスク
の概念は固定概念ではありません。
一般的には後期古典時代からロマネスク美術が定着した時期までをいいます。

それは5〜11世紀初頭あたりとなります。

この概念は決して他のものより劣っているということではなく、発展のための社会的文化状況が整っていない時代のスタイルだということです。

当時の政治、社会、文化、宗教などの外部環境が極めて流動的であったところに、アラブの侵略があったので、固定概念の形成が困難な時代であったということです。


711年モスレムの侵略を受けてビシゴド王国が崩壊、これに合わせてアストゥリアスではペラヨ(718〜737)首領がモスレムの侵攻を阻むべく立ち上がりました。

722年コバドンガの戦いで勝利した後、代を経てアルフォンソ2世(791〜842年)は、首都をオビエドに定め、ビシゴド王朝の後継者を自認しました。

これが、Ordo Ghotorum de Toledo en Oviedo  (オビエドにおけるトレドのゴート秩序)です。



アストゥリア美術は古代の技術および様式を基本にして、イスパニア・キリスト教美術とイスパイアにおける後期ローマの遺産の承継者を自負しています。

宮廷は繊細で豪華な造形的特徴をもっています。

スペインのロマネスク美術が定着する前の時代に、アストゥリアスでは最後までイスラム侵攻から王国を守り抜きながら芸術創造をやめなかったにです。

アルフォンソ2世時代に建造され、現在ユネスコの世界遺産に指定されいくつかを紹介します。


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   サン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会

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    サン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会

 


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  サン・ミゲル・デ・リーリョ教会




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サン・ミゲル・デ・リーリョ教会
 彫りもの(玄関口の脇柱の浮彫りはサーカスの遊戯が展開、下部には執政官と二人の従者がいて片手に杖とハンカチを持ちゲームの開始を告げています。)





アストゥリアス王朝はその後、オルドーニョ2世の時代の914年にレオンに遷都となり、芸術はレオンを中心とした時代に移行していきます。


(勝峰 昭執筆:2006年10月31日)

写真は、”El románico”   Larousse、2006年より
 
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スペイン北部のアルタミラ洞窟は、何度訪ねても毎回初めてのような感動を覚えました。

洞窟壁画を思い浮かべると、その時の自分の心の動きまでがよみがえるのでした。

 

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 リード


「考古学者の中には、アルタミラの一部の動物画は、「正確さ」とともに「様式」をもつ画風で慎重に構成されたと指摘した人もいる。

しかし「様式」と「形式」の間に範疇上の区別がなされなければならない。

様式は生命力、運動的な特筆と一致し、形式は美、静止的な特筆と一致する。

様式は人間的であり、かつ人間のつくった工作物に限られているが、形式は普遍的であり、かつ人間の工作物が数学的法則と一致するときのみ存在する。

一般的には、旧石器時代の芸術家は様式は達成したが、形式については知らなかったといえるだろう。

〈ハーバート・リード『芸術形式の起源』(紀伊国屋書店、瀬戸慶久訳、1966年)より〉

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アルタミラ洞窟の再訪を突然決めて、マドリードから北に向かう際、立ち寄ったサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院でそれまで気づかなかったロマネスク美術の魅力に魅了されたのがすべての始まりだった。

(勝峰 昭執筆:2006年10月2日)



 
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本屋で過ごす時間は、日本においてもスペインにおいても格別のものだが、かの地では次の機会がないかもと思うとカゴの中に躊躇なく本を入れていく。

帰国後はそれらを翻訳する楽しみが待っている。


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Catedrales Románicas』Catedrales de España―、Isabel Frontón Simón、Ediciones Jaguar




 E,Javier Pérez Carrasco の序文より一部抜粋し邦訳します。




Catedrales y Monasterios románicas

 

Burdas generalizaciones han intentado establecer entre el estilo románico y el gótico la misma oposición que existe entre la cultura monástica y la urbana. 

 

 

ロマネスク大聖堂と大修道院


極めて大雑把に概括的に云うならば、ロマネスク様式とゴシック様式の間には、修道院文化と都市文化との間に存在するような相反的なものがある


往々にして前者は大修道院固有の美術だと見做されている。


議論の余地がないのは、ロマネスク世界において大修道院は第一級の美術と文化の中心であるが、その重要性は過小評価されている嫌いがある。


それはゴシック世界においても大同小異である。


いやその度合いがさらに大きいのは大聖堂の方かもしれない。


バラル・イ・アルテットの見解によれば、10世紀における建設や改修の中心は大聖堂であり、11世紀中にはさらにその度合いを深め、新機軸や野心的な計画が行われた。

 


ロマネスク大聖堂の不評の原因は、多くの場合その顕著な主体性を正当に評価出来ない多くの歴史家たちの無関心や無理解によるもので、そのために恐らくその主原因は、今日眺望できるゴシックの巨大寺院によって置き換えられたときに、その大部分の造形が破壊されてしまったからである(結果として忘却されてしまった)

 

一つの大聖堂を建設するには、大規模なプロジェクトをよく知り遂行する能力を備えた偉大な人物を必要とした。


出たとこ勝負で人気取りの感覚とは程遠く、司教座聖堂は計画性を持った力量の産物であり、また比較的短い期間にこういった野心的な建物を建造するために必要とする、健全な資金力の産物である。

 

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Los Complejos catedralicios

 

Los complejos catedralicios conformaron los conjuntos arquitectónicos más monumentales de la Edad Media peninsular, aunque sólo el de Santiago de Compostela llegó a tener unas dimensiones grandiosas. 


複雑極まる大聖堂群

大聖堂群はイベリア半島の中世時代のもっとも記念的総合建築物となったのである。


ただサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂だけが巨大な規模を持つに至った。


しかしながら修道院によって違いはあるが、わずかな修道院だけが回廊を持ち、司教の息のかかった出先としての修道院のほとんどが、各種の奉仕のために司教施居住施設や病院などを備えた。


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最後に次のことを想起しておきたい。


中世時代においてあらゆる建物は、とくに彫刻物において、他彩色を施されていた。すべて色付きで、今日の壁画もすべてそうであるが、こういった塗り物は脆く傷みやすいので長持ちしない。


極端な古臭い批判かもしれないが、他彩色塗は石から剥げ落ちやすく、修復もなかなか厄介で中世の聖堂の彫刻物の元のイメージは失われてしまう。


著名な歴史家J.Heersはこの点についてかなり辛辣で、


“今日的に見れば、ロマネスクでもゴシックでも教会の造形は大きな間違いだ。凝縮した低い荒削りの天井のようなロマネスク的なものから学んだ上に陶酔してしまい、またゴシック的裸石の貴族的で簡素な明るさ、それに反し金ぴかの色彩を放つけばけばしさ…”


事実、造形的要素や生き生きとした色彩に優れ、壁の上部分には通常平坦にピグメントが塗られ、全体として均質性が与えられ、切り石の接合部分が目立つ。


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大聖堂は、多くの人々が参画し信者たちの厳粛な職務と典礼に熱情によって、信仰教育活動や典礼と教会としての慈善事業の重要な中心である。


大聖堂は熱心な祈り、洗礼、ミサ、聖職務、結婚や葬祭などの場所となり、とどのつまり共同体のあらゆる宗教生活の重要な場所でもある。


また往々にして巡礼の中心ともなり、年間を通じての主要な祭事、聖パトロンの存在などに多くの大衆がやってくる。


しかも教育のための特筆すべき場所で,しばしば長い退屈する説教の場でもあり,また外陣にはお香が焚かれ、いい匂いの中で素晴らしい祭事が展開する。


忘却してならないのは、寺院就中大聖堂では長い年月に亘り、建物内の広い覆われた空間の中で、典礼的あるいは世俗の見世物が催された。


ヨーロッパの田舎では1718世紀には新しい劇などが創作されたこともある。

 

 

しかしながら、書類と云う形の数多くの証拠が明らかにしているように、中世の人たちは必ずしも教会内部で然るべき敬意を以てふるまったり、装飾に意を用いたりしなかった。


その理由はいたって単純である。


つまり宗教施設の内部は、信者の場所であり、公共的なものであり公共の結構な集会場所だったからである。


壁の内部でぶらぶらしたり、凍てつくような冬又炎熱の夏でも遊びに興じたり、飲み踊り、放縦なはやり歌のリズムに合わせて歌い、聖人祭りの前夜は特にそうであった。


また典礼歌の最中に世俗のメロディ―なども聞こえてきたりした。普通の宗教会議や公会議などは時に応じて、聖堂内部は神聖な信仰の為のみに使用されるべきものであり、市場や会合のためのものではないと注意を促したほどである。


神に関連する事柄に親しむと、あの頃の数世紀独特の特徴として、一種の共生、霊的なものと地上的なものを考慮すれば自明となる。


.ウイジンガが古典研究の中で指摘しているように、中世の人たちの日常生活からみて考えさせられるのは、“信仰にあまりにのめり込んでいるため、寧ろ聖なるものと異端なるものの間にある距離を測ることができなくなることを恐れていたと云える。



                

 ( 翻訳:勝峰 昭 2017.09.23)

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この書籍に取り上げられている大聖堂の写真を以下3点紹介します。 



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原始キリスト教の歴史において、パウロはイエス・キリストに生涯会ったこともないのに、孤独に中東地域を歩き回りキリスト教布教に最大の貢献をした人であることはよく知られています
(新約聖書の使徒言行録以降の記述)



パウロの功績は著名なハルナックが『基督教の本質』において次のように記述しています。

要約しますと;

 

1.          福音の内容を、「贖いと救済」についての音信として明確に把握した。

2.          ユダヤ教(律法宗教)を廃棄し、キリストの教えを最高のものとして把握し伝道した。

3.          キリストの福音をユダヤ以外の領域にあまねく布教した(東方から西欧に国際化)

4.          福音の内容を霊と肉、内的生命と外的生命、死と生という大きな枠組みに当て嵌め人類全般に理解させた。


一言で言えば、パウロはキリスト教の国際的布教に貢献した最大の功労者でした。

所謂十二使徒の一人ではなく、ロマネスク図像的にはキリストの生涯と密着した物語性がないためか、極めて限定的な場面にしか出てきません。


しかしながら、彼がもしいなかったらキリスト教はヨーロッパ中世で唯一の宗教とはならなかったといっても過言ではないでしょう


聖ペテロとともに最大の功労者だと云えるでしょう。

 

彼の容貌は特徴的で、禿げ上がった額に深い皺が刻まれているので、図像を見れば彫刻であれ絵画(壁画)であれ、すぐにパウロだと判別できます。


何と云ってもサント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院回廊の西北の隅に嵌め込まれている大理石彫刻パネル(浅浮彫)「トマスの不信」の情景は衝撃的でさえあります。


キリストの真横に彼がいますが、歴史的・聖書的事実としては、彼はその場にはいない。


制作時の修道院長と第一の工匠との話し合いで、聖パウロの生前の功績を讃え、敢えてこの場所に挿入したものだと考えられます。


こういった合成的手法は、ロマネスク美術の講演や著書で私がいつも申し上げるある種の「仮象」です。


つまり主観と客観の中間に位置するがどちらにも属さない「幻影」的なものなのです。


12世紀初めの知的なロマネスク彫刻の典型手法だと云えます。


(勝峰昭執筆:2014年3月20日)


 

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画家横尾忠則著『創造と老年9人の生涯現役クリエーターによる対談集』(SBクリエイティブ、2018年)と云う本を読みました。


私のような後期高齢者にとって久しぶりに示唆に富む面白い本でした。


その中の面談者の一人、画家李菟喚(リ・ウファン)は次のような意味のことを語っておられます;


≪平面性と云うのは、自分の内面性を強く反映できる。これが平面性の特徴です。≫

つまり画家として、絵を描く時の画面と自分の関係を“
内面性の表出“と云う概念に統一されています。


ロマネスクの場合、絵画は言うに及ばず、彫刻の場合も所謂平浮き彫りと云う平面に近い手法は正に限りない平面性の追求と云えるでしょう。


ロマネスク美術においては三次元的な仕上がりを忌避するのは、あながち「モーセの十戒」の立体性の禁止(像をつくってはならな)に遡るまでもなく、当時は通例のことなのですが、


絵画の場合と同様に、彫刻でもにじみ出る内面性の表出効果が求められます。


対象作品はできるだけ真正面から見ることを絵画彫刻物共要請されますが、このことは観照上非常に重要なことだと思います。


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Portada de Bossost (Valle de Arán)    El Románico Catalánより


(勝峰昭執筆:2018年5月5日)


                      

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イスパニア・ロマネスク絵画(壁画、板絵、写本細密画など)の描写手法において、「陰影」を用いた作品はありません。


推察するに、ロマネスク時代は総じて写実を敬遠したからでしょう。


ここで誤解してはいけないのは、概念として「陰影」とか「濃淡」が厳然として存在していたのは言うまでもありません。


ただ絵画表現として、ロマネスク時代では写実的要因をすべて忌避したからにすぎません。


つまり西欧中世の一時期1013世紀初頭頃は、目に映ずるものは不確かな真実なものではないとみなし、いわゆる物事の本質ではないと心得たからです。


ここに掲載した絵は、元々Sant Andreu de Baltarga (Cataluña) 教会の祭壇前飾りの板絵に描かれたキリストの弟子Sant AndreuSant Jacob、現在はMNAC蔵のものです(『 El Esplendor del Románico』より)。


陰影は皆無です。


 (勝峰昭執筆2019.10.20)

 
 


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時空を超えて-ゴシックから見たロマネスク



ロマネスク美術のすぐ後に続く約13世紀以降のゴシック美術時代には、一体どのように前の時代のロマネスク美術が理解されていたのでしょうか。


一つの見解を紹介しましょう:

 

この主題に格好の翻訳本が、1968年に岩崎美術社から出版されています:


それはウィルヘルム・ヴォーリンガー著、中野勇訳『ゴシック美術形式論(Formprobleme der Gotik) という本で、著者を皆様もご承知と思います。


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有名な処女作『抽象と感情移入Abstraktion und Einfuhlung 』は、様式論としては超一級です。


原著の初版は1908年で、その2年前に学位論文として発表されたものです。


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そして彼は古典的名著『美術様式論』の著者アロイス・リーグルの流れをくむ人でもあります。

 

しかし彼はロマネスクに対しては相当辛辣な偏見をもっています。
 


この本を読む限り、このヴォーリンガーという人はロマネスク美術にあまり好意的ではなく、「破壊から創造へ」と言われるように、大体普通は直前の時代のことに否定的に述べる場合がままありますが、彼もまたその類のようです。


周知のようにゴシック建築は欧州に国家意識が芽生え、海外領土への進出など上昇気流に乗った時代の美術というべきで、ゲルマン的な森林のとげとげした感覚、高さへの志向、ふんだんにステンドグラスを用いた光・明るさへの志向(光の海に彷徨)、華奢好みなどが強く意識され、西欧中世的な深味のある宗教性(暗さと祈り)は希薄と云わざるをえません。


建築における「マッス性(重量と嵩=ずんぐり、どっしり型)」、

暗さ志向(瞑想を誘う聖堂の壁の厚さと開口部の少なさと狭さ)、

彫刻における絵画的手法「浮彫」の多用(浅浮彫手法を旨とし、自然主義的三次元造形の忌避)、

外壁の装飾性(盲アーチ、縁装飾)、

幻想的で伝説的動物のようなバロック的とも云える概念など、

ロマネスク的な造形を著者ヴォーリンガーはすべて否定しています


ゴシック美術(13-15世紀)は、そのもつ一般的特徴である形式性、客観性(合理的、自然主義的)といった概念は、ロマネスクから見れば異質な芸術思想です。


さりながら既述の如く、この時代は西欧に国家意識が造成され、とくにイスパニアは新大陸発見を目前に国家統一が実現するなど、時代的要請と美術への世俗的政治権力の介入がもたらした特徴的な志向があったことは疑えません。


つまりゴシックから見るとロマネスクは、時代の趨勢から最早かけ離れたオールド・ファッションな様式と見られたのです。


もちろんいかなる美術様式といえども、時代的要請と無関係ではありえない、直前の二百年とは思いますが、それにしても西欧を一色に染めたロマネスク美術の深い本質を理解することなく、唾棄するが如き表現はいただけません。
 


同書の122129頁「ロマネスク様式」の項を二か所だけ原文に忠実に引用してみましょう:

 

 “バジリカの簡潔な基本機構は今やロマネスク様式になって徹底した一つの複合組織を与えられる。その統一的特徴がすてられて、刺激のない単純性の代わりに豊富な多様性を備える。ただ一つのアクセントの代わりに多数のアクセントが現れ、それが一種のリズミカルな結合をなしている。それの不安などぎつい、奇妙な表現的なリズムや、ほとんど肥大症的なアクセントの豊かさと比較するようなものである。-中略- ロマネスクの建築様式の重々しさや切迫性がどう理解されるべきか。ロマネスク建築の複合組成の衝動は、初期キリスト教のバジリカの平和な、外面的には非常に客観的な、表現にとぼしい形態を、自己の精神にしたがって改造し分化させようとするゴシック的な活動性の要求以外の何ものでもない。多くの人は絵画的な外見に向けられているロマネスク建築の欲求だけを云々して、そのために原因と結果とを混同している。”

 
 

“構造の点については、ロマネスク様式は実はまだ古代の機構に癒着していた。こうして北方的な形式意志は建築上の基本構造と併存してのみ表現されることができたのであって、ゴシックがしたように、この基本構造と一緒にからみ合って表現されることは出来なかったそれは建築の根本思想にしたがってはいるもののなおまだ有機的な表現手段によって表現されていたような外面的、間接的な力の蓄えをかたむけることによって、直接的、内面的な力の発展の欠乏を補わなければならなかった。またロマネスク様式のもつバロック的な堕落傾向もこれと関係がある。”



この二箇所の引用文を見ただけで、著者ヴォーリンガーはロマネスク美術に対して相当な偏見の持ち主であったと思います。


翻訳文なので今ひとつ分かりにくいですが。



【勝峰昭執筆:2016.12.05】


 
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新年あけましておめでとうございます


カスティーリャ・レオン地域で最も優れた壁画といわれる、サン・イシドロ参事会教会に付帯する「王廟」から、12ヶ月の農業カレンダーを取り上げます。


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       1月                  2月

        
サンティアゴ巡礼路の中頃にあたり、フランコ・ロマネスクの影響を最も受けたところです。


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        3月                  4月


 
黄土色、黄身がかった色、灰色、薄い赤色など、自然主義的で単純なのが特徴です。



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        5月                  6月


いわゆる宗教美術の中に、庶民性豊かな情景を庶民の眼線にあった位置に展開させています。



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        7月                  8月

 
こういった世俗性を宗教美術の中に取り込んでしまうやり方は、ロマネスクの美術の手法でもあります。


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       9月                  10月


リポイのサンタ・マリア大修道院の正面玄関のアーキボルトにも1年の労働カレンダーが彫られています。

 

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        11月                  12月







(勝峰昭執筆:2007年12月20日)





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【お知らせ】


勝峰昭著『イスパニア・ロマネスク美術』、『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』(光陽出版社)は刊行以来、
三省堂書店神保町本店の美術書コーナーでお取り扱いいただいてきましたが、
2022年5月新社屋建設のため移転縮小となることにより、今後はアマゾンだけでの取扱いとなります。


イスパニア・ロマネスク美術
勝峰 昭
光陽出版社
2008-08T


 






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(次回2023.01.12更新予定)



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