勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

タグ:大阪外国語大学

夜明けAmanecer
 
鶏と梟(フクロウ)

日本の春は始まりの季節です。
何事も始めるときは、緊張するが楽しい。
それは未知な未来がもつ不安と期待のせいでしょう。

西欧の中世では、人々は「象徴」という概念を用いて「始まり」を告げました。

新しい時代の到来は、民衆に生き甲斐を与えました。 
誰にでも無差別にいつか訪れる「死」への怖れを信仰は和らげてくれます。
日常の生活において「愛」の心が人々を連帯させます。

「鶏」は暁を告げます。
「梟(ふくろう)」は不吉な鳥だと思われがちですが、夜のとばりが終わることを予告するともいわれています。

つまりこれらの鳥は新しい時を告げる象徴なのです。
「鶏」は大聖堂の塔の先を飾り、「梟」は聖堂の外壁に組み込まれました。

巡礼路の代表的な盛期ロマネスク教会である、サン・イシドーロ参事会教会の塔最上部を見てみましょう。


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レオン王廟の壁画にも、鶏が描かれています。

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(以上の写真は、"Real Colegiata de San Ishidoro"  EDILESA PATRIMONIO より)




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  (ソーリユ、サン・タンドーシュ聖堂柱頭 『ロマネスク彫刻の形態学』より)

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「中世人にとっては、動物という概念は私たちのもつそれとは異なる。
動物生物学ではなく動物象徴学ないし動物神学の立場からである。(中略)
中世人は動物の背後にひそむ真義を解明しようとする。
その意義ゆえにこそ動物は存在理由をもつと考えるのだ。」
(柳宗玄『ロマネスクの形態学)2006、八坂書房より)
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ロマネスク彫刻には多彩な動物が登場しますが、それぞれこのような象徴的意味をもつことが多いのです。

象徴とは「本来関わり合いのないの二つのもの(具体的なものと抽象的もの)を、何らかの類似性をもとに関連づけることだと広辞苑に定義されています。

(勝峰昭執筆:2013年4月15日)


【お知らせ】

勝峰昭著『イスパニア・ロマネスク美術』、『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』(光陽出版社)は刊行以来、三省堂書店神保町本店の美術書」コーナーでお取り扱いいただきましたが、2022年5月新社屋建設のため移転縮小となることにより、今後はアマゾンでの販売のみとなります。


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FIN

(次回2022.05.12更新予定)

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今回は少々脱線して大学時代の思い出です。

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手持ちの書、E・ジルソン著『神と哲学』三嶋唯義訳(行路社、1992年、第5刷(初版1975年)の新版「訳者」序文冒頭に、

 

三嶋教授は京大の学生の頃、聖トマス学院の神父のもとに通い中世哲学の個人指導を得た旨記しておられ、驚きとともに青春の大事な一時期に、場を共にしたことを知り親近感を抱きました(私より一年年長です)。

 

私事で恐縮ですが、実家は岐阜県多治見市で、中央線でD51機関車牽引の列車で、名古屋の大曾根駅まで毎日所謂汽車通学生として旧制愛知一中(後に学制が変わり愛知県立旭丘高校となる〕に通学しました。


 
昭和27年(1952年)に大阪外国語大学・イスパニア語学科に入学し、二年間は大阪府高槻市の学舎、後の二年間は大阪市天王寺区上本町の本校に通いました。

 
外大の四年間は下宿生活で、最初の二年間は、私の兄が京都大学経済学部(旧制高校は名古屋の第八高校)四年生に在学していたので心強くもあり、京都市の阪急沿線桂駅前の下宿(応接間を改良した一間)していました。

 
それに京都という土地柄は何となく古い寺々や名跡が多く、日曜日には時々仏像巡りもしたいという気持ちもあり、わざわざ大学から遠くても仕方ないやという贅沢な気持ちもありました。

 
国元の母親が中学の養護教諭として懸命に働きながら仕送りをしてくれていたので、何とかそんな母親を喜ばせたい一心で、しっかり勉強せねばと思い、


夜は週に一度、友人の紹介で京都河原町出町柳のお屋敷街にひっそりとあった聖トマス学院(欧州のキリスト教宣教師たちの拠点)に、イスパニア語(当時大阪外大ではスペイン語という言い方は禁じられていました)をイスパニア人宣教師に師事し、無償で勉強のご指導を受けました。

 
私の場合、学院のご意向で、カルロス・マルティネス神父が個人的に担当教師として指導してくださいました。

 
イスパニア人としては珍しい背の高い金髪碧眼のハンサムな神父で、優しく人格的にも素晴らしい三十代の方でした。

 
私のみすぼらしい下宿にも訪ねてこられたことがあり、当時一般人は見学できなかった「桂離宮」にも連れて行ってくださったこともありました。

そのとき偶然にも京大の湯川秀樹博士と出会いご挨拶できたのが、名誉な想い出として今でも心に残っています。

博士はノーベル物理学賞を受賞された直後だったと記憶しています、今から六十数年前のことです。

 

 

この課外勉強と同時に四条大宮駅の近くにあったタイプライティング学校にも週二回夜学で通いました。


当時はまだポツポツと指でたたく機械式の武骨なもので、不器用な私は苦労しましたが、幸か不幸か生徒はすべて女性で、まだ十代の新入学生の私に皆親切にしてくれました。

三か月で終了し、何とか打てるようになった時は嬉しくて、夜食に兄が通っていた京都大学の学生食堂に行って、トン汁を自ら奮発したのも懐かしい思い出です。

 
外大では、イスパニア語だけではなく欲張って英文学、英会話、商業英語、ラテン語、フランス語、ポルトガル語などを履修し、


その他、経済学はケインズ、民法、商法、日本美術史など欲張りに単位を履修していましたので、

超多忙で、自ら招いたことながら、良く体が保ったと思うぐらいでした。

 
しかも自炊という不慣れな食生活にもかかわらず栄養失調にもならず、何とか悪戦苦闘しながら予習復習夜学とこなしていきました。

 

四年間の外語生活も瞬く間に過ぎましたが、既述のように欲張って色々な単位を取った中で今でも特に印象に残っているのは、高槻時代の日本美術史の森講師(京大)で、京都の寺々での実地講義は、それは見事なものでした。

「仏像のみかた」には大いなる啓蒙を受けました。

 

 長々と私事を書き連ねてしまいお目をけがしました。

 

「神とキリスト教哲学」については次回にします。


 

 

 (勝峰昭 執筆日201656日)

 


 

(管理人より)

2008年に咲耶会(大阪外国語大学同窓会東京支部)において
開催された講演会「イスパニア・ロマネスク美術と私」
より一部抜粋して、何回かに分けてご紹介してきました。
最終回です。(咲耶会№13)

 
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この講演を終えるにあたってこれまでのお話を
 
 総括して結論的なことを申し上げますと、

 

真の美というものは決して感性だけにたよるものではない、

 

感覚というものは直接的にまた部分的に対象に関わるだけであり、

 

理性・精神でもって全体に関わってものを見るということが

 大切だということをロマネスク美術は教えます。

 

つまり形態にひそむ秩序、摂理と言った奥深いものを

 洞察させる形而上学的な美術といえましょう。



 

本日は駆け足で、イスパニア・ロマネスク美術について
難しいことを避け、さわりだけをお話しました。

 日本ではこの美術について、
特定の分野を取り上げた論文や一部に書籍もありますが、

今度出版いたします拙著は、この美術全体を網羅し
相互に関連付けて書き上げたものです。



El romanico





 私自身今日まで講演といえば商社現役時代に
日本企業の戦略や世界進出および環境問題などについて
お話しする機会がありましたが、

この美術についての講演は当咲耶会が最初のものでありました。

 

 ご清聴有難うございました。(2018512日)


 

(管理人付記):

勝峰昭著 『イスパニア・ロマネスク美術』は光陽出版社より200881日に刊行されました。

スペイン文化省のバルタサール・グラアシアン基金より助成いただきました。

その後、日本図書館協会選定図書となり、同年831日に産経新聞書評に取り上げられました。

同年12月スペイン国営セルバンテス文化センター東京主催の出版記念講演会が開催されました。

2011年に続編として刊行されたエッセイ集『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』と共に、
スペインのサント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院付属図書館に収蔵されています。




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(完)

神の美術 (2)


(管理人より)

 今回より、2008年に咲耶会(大阪外国語大学同窓会東京支部)において開催された講演会「イスパニア・ロマネスク美術と私」より一部抜粋して、何回かに分けてご紹介します。

                                                                                        

 現役時代は、「総合商社の経営は如何にあるべきか」や「ラテンアメリカにおける総合商社の戦略」などのタイトルで、内外の企業や大学で講演してきましたが、美術の関する講演はこれがはじめてになります。

 

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(はじめに)

 

昭和31(1956) 大阪外国語大学(現・大阪大学)イスパニア語科卒業した勝峰昭です。

同年伊藤忠商事株式会社に入社、同期には瀬島龍三さんがいらっしゃいました。

伊藤忠商事(株)には36年、栗田工業()7年勤めました。

  海外は、メキシコ、スペイン、インドネシア、ドイツに計
17年駐在しております。




 

さて、『イスパニア・ロマネスク美術』という一冊の本を書き上げ、この夏刊行の予定です(注:2008年光陽出版社より刊行)

 友人たちには、なんでお前はこんな美術の本を書くことになったのか、とよく聞かれます。

 これまで現地に商事会社の仕事で駐在し、超多忙の毎日でした。

 イスパニアの素晴らしい芸術に人並みに触れただけで特にこれといって勉強したわけでなく、帰国してから長い年月が経ってしまいました。

 たまたま
2000年(注 : 66歳)にロマネスク美術の宝庫サント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院を訪ねる機会があり、そこの回廊のパネル「トマスの不信」の前で動けなくなるほどの感動をうけました。

 まさに「天啓」を受けたのです。

 それがきっかけでイスパニア・ロマネスク美術にのめりこみ、なんとしてもこの美術の魅力を書物にして日本の方々に伝えたいという気持ちが昂じて、その後幾度となく現場に足を運び、スペイン語の専門書を買い込んでまいりました。



 

 イスパニア・ロマネスク美術は1112世紀、日本でいえば平安時代の終わりから鎌倉時代初期までの約200年間にあたります。

 西ヨーロッパ全域が、同じ様式の美術一色に染められたのです。

 この時代のあとにくるゴシック様式は皆様ご存知だと思いますが、それとはまったく違います。

 ゴシックは外向きで、高さを求め、光を求め、大きさを求めています。

 それと違って、ロマネスク様式は、神に向かって自分が如何に近づくかという非常に内向的な、精神的な、倫理的なつまり形而上的な美術です。

 


この春に、私たちの大先輩であられる林屋永吉、元駐スペイン大使のお宅にお邪魔しました(注 : 2016年ご逝去)。

 ロマネスク美術の本を書いているのなら、ぜひ話を聞きたいと仰っていただき、原稿をお持ちしたのです。

 体調を崩され回復期にあられたとうかがっていましたが、僅か
3日後には「夜遅くまでかかって読んだよ。あれはすばらしい。」と仰っていただきました。


これからスペイン文化省のバルタサール・グラシアン基金を申請して、助成金を今回の本の出版の費用の一部にさせていただきます。

名誉なことです。
400頁近くの分量で、カラー写真を300枚ほど載せます。


それでは私の心の琴線に触れた「イスパニア・ロマネスク美術」の話に入ります。

 

 

(次回につづく)

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(管理人より)

 

2011年『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』光陽出版社より刊行。

その後、研究論文『ロマネスクの回廊―ベネディクト派Santo Domingo de Silos大修道院―』脱稿。未発表。



20200928コラージュ

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