勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

タグ:彫刻


聖書と詩篇にしばしば登場するダビデ王、
中世においてはサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂の銀細工の扉口の
扶壁のこれが最も素晴らしい記念碑的表現だと言われています。


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  写真1 ダビデ王 サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂




ダビデはその地位にふさわしく王冠を被り、豪華に着飾って玉座に座っています。


脚を交差するスタイルはトゥールーズのサン・セルナン教会の「獅子座と牡羊座」と同じで、その全体から強い王の権威が感じられます。


王はハープを弾き、プルサテリウム(チターに似た弦楽器)あるいはラベル(バイオリンの古形)でメロディーを奏でています。





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 写真2 楽器 (”Mensaje Simbólico del Arte Medieval" Santiago Sebastián,1994より)


(参考)中世の楽器については、『神の美術ーイスパニア・ロマネスクの世界』(勝峰昭著、2011年、光陽出版社)〈神を崇めるためには音楽を!〉の項で詳述しています。



ラベルを持ち、王は悪魔像を踏みつけています。


音楽の力によって悪の力を退治するかのように。





次は柱頭の例です。

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   写真3 ダビデと楽師たち、ハカ大聖堂



中世における巡礼路の起点ハカ大聖堂に、楽器を手にするダビデ王の情景の柱頭があります。


1514年に消滅した合唱の間にあったものだろうと言われています。


楽師たちを随伴していて、立派な浮彫りとなっています。


ロマネスク美術では珍しく写実的であり生き生きとした表情をしています。


右側のプルトニウム奏者は曲の演奏を始める合図を受けようとしているのか、振り返っています。 




最後に聖書から
 

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 写真4 ダビデと楽師たち、Worms聖書  (写真1、3、4は ”ROMÁNICO2"  2006より)

 

 



 (勝峰昭執筆:2009年10月6日)

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【お知らせ】


勝峰昭著『イスパニア・ロマネスク美術』、『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』(光陽出版社)は刊行以来、
三省堂書店神保町本店の美術書コーナーでお取り扱いいただいてきましたが、
2022年5月新社屋建設のため移転縮小となることにより、今後はアマゾンだけでの取扱いとなります。


イスパニア・ロマネスク美術
勝峰 昭
光陽出版社
2008-08T


 






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(次回2023.09.02更新予定)




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20230522

    Real Monasterio de Cañas (Logroño)

    Sala capitular. Sepulcro de la Beata.

 


西欧のロマネスク美術時代(1112世紀)イスパニアの地も修道院(とくにベネディクト派とシトー派)の数がサンティアゴ巡礼路周辺を軸に幾何級数的に増えていきました。


あくまでも推定なのですが、修道院の数は西欧全体で4万箇所、おそらくイベリア半島ではこの時代には45千箇所に上っていたと思われます。



修道士たちの生活は、それ以前の隠修士の時代ほどではないにせよ、資料を読んでいると厳しいものであったと身につまされる思いです。


ロマネスク美術の最大の源泉として、修道院の存在は特筆すべきです。


彼らベネディクト派の修道士たちの生活は、有名な「聖ベネディクトの戒律」*で律せられていました。


したがって彼らの日常がどのようなものであったか、容易に推測できます。


毎日の決まりである「聖務日課」に沿って厳格に整然と行動し、基本的生活態度である瞑想、寡黙、制欲を私生活の規範としています。

厳格な縛りばかりではなく、
当該戒律は食事、医療、休養など修道士たちの相互愛を基盤にしていることが分かります。


*格好の書として、古田暁『聖ベネディクトの戒律』すえもりブックス、2000(314)が刊行されています。


戒律の内容は興味ある向きにとっては、一読に値します。


ここではその詳細には触れませんが、喜怒哀楽の場面をここに載せました。** 


何となく修道士たちの哀愁が感じられ切なくなります。


この時代、掌で耳を覆うのは、悲痛な感情を表す表現です。


**写真出所

Vida y Muerte en el Monasterio Romanico

 (ロマネスク修道院における生と死)

  José Ángel García de Cortázar

  Fundacion Santa Maria la Real (Palencia), 2004

  


 
(勝峰昭執筆:2016.11.30 )




 

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「芸術としての彫刻の特殊性は空間に三次元のオブジェクトを想像することである。

 絵画は二次元の面に、空間のイリュウジョンを与えようとつとめるであろうが、

 彫刻家の特殊な関心になるものは知覚されて量としての空間そのものである。

 画家にとっては空間はひとつの贅沢であるが、

 彫刻家にとっては、ひとつの必要であるといえよう。」



ハーバート・リードは著書『彫刻の芸術』の中でこのように述べています。


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今回は聖書の情景「お告げ」の彫刻作品を取り上げます。

時代により、彫刻家により、またそれを依頼した聖職者の思惑によってもその態様に変化があり興味深いものです。


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アビラのサン・ビセンテ教会の南扉口、12世紀末〜13世紀初頭の「お告げ」

天蓋の下で左手に本を持ち、大天使ミカエルの方を振り返るようにしているマリア。

いささかはにかむように下向き加減で可憐、柔和、謙虚で清純な感じです。



 



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13世紀末ゴシック時代のジョバンニ・ピサーノ作サント・アンドレア教会にある大理石教壇パネル
(ハーバート・リード『彫刻の芸術』 より、受胎告知)

こちらは驚愕、不安、困惑などすべてを体現する格好をして身を引く素朴な聖処女マリアを極めて写実的に描いています。



この対照的なふたつは、後期ロマネスク時代から前期ゴシック時代へ移行する様式の変遷を如実に感じさせます。




(勝峰昭『神の美術ーイスパニア・ロマネスクの世界』聖書の世界より一部抜粋)



 

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(次回2023.02.22更新予定)




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ロマネスクの切手 
 

 

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ナバラ州レイレLeyreは、ハカJacaの近くです。

 

なんといってもここの目玉は地下祭室で、上部の後陣穹窿の総重量を支えるため、太く短い支柱と円柱が林立しています。(切手:上段右)

 

仕組まれたとしかいいようのない柱頭が、このような真っ暗な地下祭室にあるのです。

 

何故このように目線より低い位置にわざわざ巨大な柱頭を取り付けそれに彫刻までしたのでしょうか。

 

不必要な装飾を拒むシトー派の修道院としては、理解に苦しむ謎といわざるをえません。

 

そのために実見しようと来たのですが、もう一つこれといった明確な理由が分かりませんでした。

レイレはフランスからの巡礼路の二つが一緒になる地点からそれほど遠くない開けたところにあります。

 

訪れる人も多いこの修道院の歴史は、プレロマネスク時代9世紀、ナバラ王朝Sancho El Mayor王の時代に始まり、1057年になって漸く聖別されたのですが、圧倒的な重量感を伴うマッス性が特徴でもある、ローマ的な初期キリスト教建築の影響をうけています。

 

聖堂は3廊・3祭室のバシリカ様式ですが、時代の趨勢には逆らえず、14世紀には西正面を除きゴシック様式への改修が行われました。

 

しかし地下祭室だけは後陣の総重量を支えて昔の姿をとどめています。

 

3祭室の下部に相応する形で3つの区分と、もう一つ中央区画が追加されて計4区画に分けられています。

 

2本の支柱と8本の円柱が全重量を支えているわけですが、そのいくつかに巨大な柱頭が嵌め込まれ、それぞれ線estrías、球根bulbos、渦巻きvolutasなどの単純な模様の彫刻が目線よりやや下に展開しています。

推定の域を出ませんが、柱頭を用いたのは過剰な加重に対して建築上の視覚力学的な安定感を求めたこと、それに彫刻まで施したのは(それも建築後数年経ってから)「空白への忌避感」の故であったのではないかと思っています。

なお正面玄関のタンパンには、初期ロマネスク美術の貴重な彫り物-「荘厳のキリスト」が、右に聖ペテロ、左に聖ヨハネをともなって主宰しています。

 

ナバラのキリスト教美術の希少な遺産といえます。

 

 

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(勝峰昭執筆2009630日)

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FIN

(次回2022.04.22更新予定)

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パリのRue du Pré aux Clercsの朝、chubasco 霧雨のように細い雨模様だった。

この地で雨になった記憶がない。

古い Saint Germain des Prés界隈は摂氏78°、風情があった。

 

歩いて5分ぐらいmusée Rodin 48年前と同じ佇まいでそこに建っていた。

中の造作はかなり変わっていて、「考えるひと」の数が減ったように思う。

 

自然主義に徹した手法に情緒を感じ、独特の写実彫刻の数々に時を忘れた。

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観光客の数が朝から多い。


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ショップでスペイン語の資料を入手した。

“Musée dArt moderne de la Ville de Paris”

 

(勝峰昭 旅NOTE 2010.11.08

 

 

 

後年、古本を日本で購入しました。


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この黄ばんだ本の発行は1946年、定価は25円とあります。

古書市で2001年購入、200円でした。

旧仮名遣い、写真のキャプションは右から左へ読みます。

 

写真

『フランスの聖堂』オーギュスト・ロダン 新庄嘉章訳 八雲書店 昭和21

 

 

同書 第3章「ロマネスク様式に関する覚書」から:

・・・・・・・・・・・

 

ロマネスク建築は地下墳墓(カタコンブ)から、壁の厚い秘めやかな地下祭室(クリプト)の中で生活していた初期のキリスト教徒から生まれてきたものであるから、宗教の発生のやうにつつましやかなくらい様式である。

芸術は、そこでは吸う空気もない囚われ人である。

それはゴシック建築のさなぎである。

このさなぎは、ものの順序の要求するごとく、やがて完全な存在の中に立派に飾られるのが見られるであらう本質的な形しか持っていない。

これらの形は峻厳な単純さを持っている。

 

ゴシック建築は、装飾を極端に豊富に用いた時においてすら、このロマネスク建築の原則を決して閑却しなかった。

花が蕾のあとにつづくやうに、ロマネスク建築のあとにつづいたものである。

 

ロマネスク建築はフランスの諸様式の父である。

謙譲と精力に満たされているこの建築はわれわれの全建築を生んだものであった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

"Les Cathedrales de France"  (Librairie Armand Colin,1914)

 

勝峰昭 読書NOTE 2014.02.06



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FIN

(次回は11月2日)


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<ゴッホは非常に情熱家でキリスト教徒でもあったが、創作に際して宗教的な古いテーマを印象派的に描くことはできなかった。>

 

これはヘーゲルのことばです(引用元は後述)。

 

 

「芸術家artista」というと聞こえは厳めしいですが、西欧がロマネスク美術一色に染まった1112世紀当時は、平たく言えば工匠(工房の親方)と工人のことでしょう。

 

宗教施設(大聖堂、教会、修道院など)と個々の特定の計画ごとに契約を結んで仕事を請け負い、建築なり彫刻や壁画といった具体的なものを完成した人たちです。

 

その発注元が宗教施設でしかもその内容が宗教的な概念を具体化する仕事であっても、俗人であるか否かは関係ありません。

 

もちろんその内容を承知していることは必要条件で、宗教的環境の中で醸成され、仕事を遂行するための技を相当磨かねばならなかったでしょう。

 

教会なり修道院が何を表現してほしいのか察し得る能力が求められ、逆に発注する方も芸術家の能力を見抜かねばならなかったことは、いうまでもありません。

 

 

アメリカ人のロマネスク碩学Mayer Schapiroの有名な論文「Sobre la actitud estética en el arte románico(ロマネスク美術における美学的態度について)」(1947)と「Del mozárabe al románico en Silos(シロスにおけるモサラベよりロマネスクまで)」(1939)があります。*

 

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*Meyer SchapiroEstudios sobre el románico(ALIANZA FORMA 1995)より

 


私は
イスパニア・ロマネスク美術の勉強を始めた2000年頃、西語訳本から邦文に完訳しました。

多くの文献を「翻訳」するという作業を通して、ロマネスク探究の旅はここから始まったのです。

 

その中でSchapiroはヘーゲルの文を一部引用しています。

 

冒頭のゴッホの一文のほかに印象に残ったものをここに再引用しましょう:

 

<慈悲の時代においては、真に宗教的な芸術作品を創造する為に、信心家になる必要はない。むしろ今日では信心深い芸術家ほど作品制作能力がない。>

 

<ロマネスク・アーチの多様性は“有機的”多様性ではない(礎石,柱身、軒蛇腹、持ち送りなど)。部分を個性化し、機能的同一性から離れている。>

 

このヘーゲルの一刀両断的見解にはやや辟易としますが、ゴッホの心はさすがで良く解ります、崇高で抽象的な世界のことですから。

 

ロマネスク時代の芸術家たちは一匹オオカミで各地を放浪する壁画家は別として、そのほかの絵画(板絵)や彫刻は徒弟制度的一家の親方を頭(かしら)に、各地に網を張ってお互いに協力し合いながら、自由奔放に個性的な仕事をした工人たちの集団であったといえるでしょう。

 

その作品の内容から見て、狂気とさえ云えるほど人間の本性に迫る描写や、幻想と仮象の世界をグロテスクに描いたり彫刻で云えば繊細なビットや斜面彫の技法など、大胆にして細心またその多様性に驚くばかりです。

ロマネスクならではの魅力でしょう。

 

 (勝峰昭執筆2016.11.25


・・・・・・・ 


 *『神の美術ーイスパニア・ロマネスクの世界』(勝峰昭、光陽出版社、2011年)の第11章ヨーロッパの芸術家たちとロマネスクでは、ゴッホ、ピカソ、グレコなど取り上げています。

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(管理人より)

2008年に咲耶会(大阪外国語大学同窓会東京支部)において
開催された講演会「イスパニア・ロマネスク美術と私」より一部抜粋して、
何回かに分けてご紹介しています。今回は九回目です。

 

 

 

 

 今回は聖母子像の中で私が最も好きな
「ジェルの聖母子像
Mare de Deu de Ger」を取り上げましょう。

 

この像は現在バルセロナの国立カタルーニャ美術館の
ロマネスク区画に蔵されていますが、
もともとはピレネー山麓にあったものです。

 

俗に言う“美しい“という概念の一つの要件は、
美術論的には縦の「対称形」を保ち軸がしっかりしているということです。

 

イスパニア・ロマネスク美術では聖母とイエスは
一体であって、決して二体ではないという認識をもたねばなりません。

 

ただ対称形という概念から腕は除外されます。

 

この像の大きさは60cmていどですが、頭がずば抜けて大きい。

 

つまり頭を他の部分と比べて相対的に大きくするということは、
神々しい理知・理性が詰まっているがゆえに人体の比例配分を
無視しても大きく描くというのが、ロマネスクの手法であります。

 

美術館などで見るとなんでもないのですが、
いったんこの像が、真っ暗な小礼拝堂にあって、
仄かな蝋燭の光と、煤けた雰囲気の中でこの像を拝すると、
信者は自分の罪業を見据えられているように思え、
きわめて怖い存在に映るのです。

 

つまりロマネスクの聖母子像は観賞の対象ではなく、
神の像に見据えられるものなのです。

この辺の感覚を理解することが大切です。

 

ロマネスクの後に現出するゴシックの時代では、
聖母は優しく微笑みすら浮かべ、体も中心軸がはずれ
ややくねらしたように女性的なものに変身していきます。

 

しかしながらロマネスク時代のものは決して慈愛溢れる聖母像ではなく、
神の母として厳然と前を見据え礼拝を受ける姿勢をとります。

 

また決して世俗的な美しさとは異なります。

 


(つづく)

 

 

 

(管理人より)

前回より、2008年に咲耶会(大阪外国語大学同窓会東京支部)において開催された勝峰昭の講演会「イスパニア・ロマネスク美術と私」より一部抜粋して、何回かに分けてご紹介しています。今回は二回目です。

 

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 「トマスの不信」

 

 

これは新約聖書の「ヨハネによる福音書第202429節」(新共同訳)の場面です。

 

有名なイエスの言葉「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と信仰の絶対性を示されました。

 

 

 

 マドリードの北方約200Kmにある「サント・ドミンゴ・デ・シロス」という世界的に有名な大修道院があります。

 

 ちょうどサンティアゴ巡礼路のブルゴスから南へ50Kmはいったところですが、この修道院の回廊の四隅に二つずつ計八つの大きなパネルがあり、北西の角にあるのがこの写真です。






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 情景はキリストが磔刑になった後の話です。

 

十二弟子の一人トマスは、イエスが復活され弟子たちの前に現れたとき彼らと一緒にいませんでした。

 

トマスは「手の釘の跡を見、わたしの指をわき腹の傷跡に入れなければ信じない。」と言い張りました。

 

八日後、トマスも含め弟子たちがいるところにイエスは現れます。

 

「あなたの指をここに当てて、わたしのわき腹に入れなさい。信じないものではなく、信じるものになりなさい。」

 

そして、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである。」とイエスは仰いました。

 

 

 

 わたしたちは今この現実の世界にいて、見ないと信じませんよね。

 

実証的な、経験主義的な、科学的な、そういう世界に生きています。

 

これはこういうことを超越した信仰の絶対性、信じることだけがすべての価値であるというキリスト教の原義を教えるわけです。

 

そこで、トマスが「わたしの主、わたしの神よ。」とひれ伏すのです。

 

 

 

この場面はロマネスク美術を理解するのに非常に重要な事柄を多く含んでいます。

 

そこには人間の感性の危うさ、客観的実証価値よりも上位に位置する信仰の絶対性というキリスト教の原義が余すところなく示されています。

 

 

 

 この絵の見方ですが、これがロマネスクの彫刻です。

 

イスパニア語でrelieve llanoという浅彫りの彫刻です。

 

彫が浅いので絵画のように真正面から見なければなりません。

 

 

 

ここには十二人の弟子がいますが、同じ方向に傾き、目線を揃え、階段上に並んでいます。

 

こういう手法はイスラム様式(モサラベ様式)です。

 

スペインはイスラムの支配を約800年間受けるわけですから、こういったイスラム的な様式が取り入れられています。

 

 

さて、次にこの脚を見てください。

 

鋏のような格好で、つま先立っています。

 

これはロマネスク様式にしか見られない、人物が感動したときの格好をしています。

 

この時期以外はこういう格好の表現はありません。

 

右手の掌を見せるのはいわゆる受容の姿勢で、イエスの教えを素直に受け入れるという意味です。

 

 

 ここに聖パウロがいます。向かってイエスのすぐ右側です。

 

額に皺があるのでパウロだと解ります。

 

本当は、彼はここにはいないのです。

 

ロマネスク美術においては客観主義的な写実志向はまったくないので留意すべきです。

 

そしてイエスは弟子たちに比べ大きく描かれています。

 

これもロマネスク美術特有の手法で、重要なものや特筆すべきものを大きく描く決まりです。

 

 

 

 最上部の枠外には、楽器を持った楽師たちがいます。

 

なぜ、このような高邁なキリスト教の原義を話しているときにこんな人たちがいるのだろう、と最初私は思いました。

 

実は、『音楽を以って神を賛美する』と旧約聖書の詩篇にあるのです。

 

「角笛を吹いて神を賛美せよ、琴と竪琴を奏でて神を賛美せよ…」このことに留意すると理解できます。

 

 このパネルがある回廊、イスパニア語では、claustroと言います。

 

64本の柱があり、四隅に二つずつパネルが嵌まっています。

 

ここは修道士の憩いの場であり、瞑想の場でもあり小宇宙となっています。

 

 

 

(次回につづく)



神の美術 (2)


(管理人より)

 今回より、2008年に咲耶会(大阪外国語大学同窓会東京支部)において開催された講演会「イスパニア・ロマネスク美術と私」より一部抜粋して、何回かに分けてご紹介します。

                                                                                        

 現役時代は、「総合商社の経営は如何にあるべきか」や「ラテンアメリカにおける総合商社の戦略」などのタイトルで、内外の企業や大学で講演してきましたが、美術の関する講演はこれがはじめてになります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


(はじめに)

 

昭和31(1956) 大阪外国語大学(現・大阪大学)イスパニア語科卒業した勝峰昭です。

同年伊藤忠商事株式会社に入社、同期には瀬島龍三さんがいらっしゃいました。

伊藤忠商事(株)には36年、栗田工業()7年勤めました。

  海外は、メキシコ、スペイン、インドネシア、ドイツに計
17年駐在しております。




 

さて、『イスパニア・ロマネスク美術』という一冊の本を書き上げ、この夏刊行の予定です(注:2008年光陽出版社より刊行)

 友人たちには、なんでお前はこんな美術の本を書くことになったのか、とよく聞かれます。

 これまで現地に商事会社の仕事で駐在し、超多忙の毎日でした。

 イスパニアの素晴らしい芸術に人並みに触れただけで特にこれといって勉強したわけでなく、帰国してから長い年月が経ってしまいました。

 たまたま
2000年(注 : 66歳)にロマネスク美術の宝庫サント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院を訪ねる機会があり、そこの回廊のパネル「トマスの不信」の前で動けなくなるほどの感動をうけました。

 まさに「天啓」を受けたのです。

 それがきっかけでイスパニア・ロマネスク美術にのめりこみ、なんとしてもこの美術の魅力を書物にして日本の方々に伝えたいという気持ちが昂じて、その後幾度となく現場に足を運び、スペイン語の専門書を買い込んでまいりました。



 

 イスパニア・ロマネスク美術は1112世紀、日本でいえば平安時代の終わりから鎌倉時代初期までの約200年間にあたります。

 西ヨーロッパ全域が、同じ様式の美術一色に染められたのです。

 この時代のあとにくるゴシック様式は皆様ご存知だと思いますが、それとはまったく違います。

 ゴシックは外向きで、高さを求め、光を求め、大きさを求めています。

 それと違って、ロマネスク様式は、神に向かって自分が如何に近づくかという非常に内向的な、精神的な、倫理的なつまり形而上的な美術です。

 


この春に、私たちの大先輩であられる林屋永吉、元駐スペイン大使のお宅にお邪魔しました(注 : 2016年ご逝去)。

 ロマネスク美術の本を書いているのなら、ぜひ話を聞きたいと仰っていただき、原稿をお持ちしたのです。

 体調を崩され回復期にあられたとうかがっていましたが、僅か
3日後には「夜遅くまでかかって読んだよ。あれはすばらしい。」と仰っていただきました。


これからスペイン文化省のバルタサール・グラシアン基金を申請して、助成金を今回の本の出版の費用の一部にさせていただきます。

名誉なことです。
400頁近くの分量で、カラー写真を300枚ほど載せます。


それでは私の心の琴線に触れた「イスパニア・ロマネスク美術」の話に入ります。

 

 

(次回につづく)

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(管理人より)

 

2011年『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』光陽出版社より刊行。

その後、研究論文『ロマネスクの回廊―ベネディクト派Santo Domingo de Silos大修道院―』脱稿。未発表。



20200928コラージュ

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