勝峰 昭の「神の美術」あれこれ。

キリスト教美術―スペイン・ロマネスクを中心に― AKIRA KATSUMINE

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ロマネスクの切手


20220402_1

 


マドリードに二回に分けて10年ほど仕事で駐在していた身にはトレドは何度も訪れたところであったが、当時はロマネスクの「ロ」の字もまだ始まっていなかった。

 

トレドの唯一のロマネスク教会 San Románを訪ねたのは2010年。

 

街の中心から街の無料ガイドが集団を引き連れて歩いて行ってくれた。

 

参加者はスペインの各地方や南米からの観光客だった。

 

国籍の様々な旅人との会話を楽しみながらの町歩きもまた格別な時間だった。

 

市の西側にあった、その教会はムデハル様式を改修したものだった。

 

ビシゴド時代の遺物の展示コーナーがあり、特にベルトのバックルが数多くいい状態で保存されていた。

 

壁面全体にフランコ・ロマネスク風の淡い色彩の聖人画が比較的鮮明に残っていた。

 

このあと、

Mezquita Cristo de la lug

Santo Tomé

Sinagoga

これらを一緒に訪ねたあと、集団と別れた。

 

三晩ほど滞在していたパラドールの部屋からは正面に大聖堂、Alcazar

そしてTajo川は東西に流れて眼下に見えても流音はない。
 

この眺めの秀逸さと晴天に恵まれたこと、相変わらずのトレドの賑わいも、マドリードとの往復のドライブもすべて心地よかった。

 

写真は、トレドの聖具sacristíaのショップで購入したロマネスクの切手です。

 

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  (切手に添付されていた説明文)
 

 

21.ロマネスク美術

ロマネスク美術はキリスト教ヨーロッパにおいて生まれ、11〜13世紀に広まった。

それは、ローマ、ビザンチンとその各地に存在した諸要素の統合物である。

移動工房(ロンバルディア工匠たち)ぼおかげで普及し、偉大な巡礼路(サンティアゴ、ローマ)を踏破して、クリュニューのような宗教秩序の開花につながった。

イスパニアにおいては10世紀末カタルーニャに入り、とりわけサンティアゴへの様々なルートを通じて全王国に広がった。

(説明文:勝峰昭訳)

 

 

(勝峰昭 執筆2010.11.4

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FIN

(次回2022.04.12更新予定)

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バルセロナ万博(1929年)に際して建てられたものを改装した、国立カタルーニャ美術館(略してMNAC)は各地から移管された壁画が主要陳列品となっています。

前回ご紹介した「神の小羊」を含む壁画の全体写真です⬇️

 

202108MNAC_pantocrator

Sant Climent de TaüllÁbside

MNAC/MAC15966

(“El Románico en las colecciones del MNAC”2008より)

 

あのカタルーニャ・ロマネスク壁画の最高傑作といわれている、'Pantocrátor' 「座せる全能の神キリスト像」、

その上方に父なる神の右手「神の手」、

そしてそのまた上方に「神の小羊」があります。

 


美術館はロマネスクのほか、ゴシック、バロック、モダンなどのブースに分けられています。

 

 

この壁画はもともとピレネーの南麓サン・クリメント教会(タウイ)の主祭室にありました。
美術館へ移管前の写真です⬇️ 


202108MNAC_san sliment de taull
 

Interior de Sant Climent de Taüll en 1904.

(“El Románico en las colecciones del MNAC”2008より)

 

 

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初めて国立カタルーニャ美術館を訪ねた2005年のこと、ロマネスクブースの入り口で午後の開館を待っていた。

                                                                                                 

後方から声をかけてきた青年の熱のこもった話は、スペイン人らしい表情や豊かな身振り手まねも合わさって、おおいに私を興奮させた。

 

ロマネスクのブースで、一番重要な ''Pantocrátor” がどのようにここに運ばれたのか、自分は今日仕事が休みで、待ちに待って「また会いに来たのです」と。

 

入場すると、そこは暗く人も少なく静かな環境の中での対面となった。
 

今にもこちらに降りてきそうな崇高なキリストがただただ恐ろしく、じっとその場で立ちすくむだけだった。
 

キリストは威厳に満ち、最後の審判者の姿をしている。
 

カタルーニャ・ロマネスク壁画の最高峰だ。

 

 

後年ピレネー山脈に向かい車を走らせ、サン・クリメント教会を訪ねた。

ボイ谷は小雨と晴天が繰り返される山の天候そのもの。

奇形聖堂の配置の原因や今はない壁画について教会守りに尋ねてみた。

土地の起伏によるという説明のあと、壁画については無言で頷いただけだった。

年配者の憂いのある眼差しが心に残った。

 

(勝峰昭 旅NOTE 2009年5月15日

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*「MNACに移管されたオリジナル壁画と比べたらその違いが歴然で、特に色合いが異なり、サン・クリメント教会の再生壁画の拙劣さがわかります。」(『神の美術―イスパニア・ロマネスクの世界』より)

 

*2009年当時は再生壁画が教会にありましたが、その後取り除かれたのか塗り潰されたのか、時にプロジェクション・マッピングでCG画像が投影されていることもあると聞きます。

 

*この'Pantocrátor' の色彩や対称的な構図、後輪や福音記者については『イスパニア・ロマネスク美術』で詳しく述べています。

 
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次回は「神の手」について


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きせき【奇跡・奇蹟】とは常識では考えられない神秘的な出来事をいいますが、一般的には宗教的真理の徴(しるし)と見なされるものの時には「奇蹟」を用いるという使い分けがされています。

☆☆☆

80歳の誕生日を迎えてから半年ほど超多忙な日々を送りました。
というのは年甲斐もなく同時に二冊のスペイン語の書物を邦訳したのです。
早朝起きだし深夜まで机にしがみつくという毎日で、これまで幾度も翻訳は手掛けてはいるのですが、70歳代とは身体の疲れがまるで違い閉口しました。
しかし頭の回転は反比例していました。

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 Retablo de Santo Domingo



 

Grimaldola Vida de Santo Domingo』(聖ドミンゴの生涯)

Fray Justo Perez de UrbelEl Claustro de Silos』(シロスの回廊)
  (
Ediciones de la Institución Fernán González,1975)

 

前者は50頁ほどの小冊子です。
後者はスペインにおける代表的な修道院回廊に関して232頁となります。
訳していてのめり込んでしまい、時間の経過を忘れました。


ここでは翻訳の技術論はさておいて.....
 

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主人公のサント・ドミンゴ・デ・シロス大修道院の修道院長であった聖ドミンゴ・マンソの生前及び死後における多くの奇蹟は、いずれも驚くべき事実として身に迫りました。
今日でも巡礼者が絶えないのが頷けます。


キリスト教神学の定義によると奇蹟は「聖霊の働き」であり、「奇蹟は下位の公理の例外」とされています。
つまり“下位の公理”とは“科学”のことで、奇蹟は其の例外との位置づけです。
因みに“上位の公理”とは“教義”のことです。

平たく言えば、奇蹟を行う人は生前極めて徳が高く、神の思し召しに叶う人だけが神より与えられる超能力を備え聖霊の働きを呼ぶ人のことで、
聖ドミンゴはこの意味で天寿を全うした聖人にして奇蹟を行う人でもありました。
彼の場合それは庶民の日常性の中で起こす庶民的な奇蹟でした。
それは仰天動地の世界を招来したり、政治くさい意外性がないのが特徴です。

 

周知の如くシロスのサント・ドミンゴ大修道院は西欧のロマネスク美術上、その回廊の持つ重要性と意義は特筆に値する優れものです。




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後者は、私にとって血となり肉となった素晴らしい古典的名著であります。
スペイン人の友人が古本屋さんで見つけてくれました。
いくつかの言語に翻訳されていますが、回廊に関する記述としてはこれに優るものはないでしょう。
ところが邦訳されたものは未だ我が国にはないと思います。

この美術の粋に酔いしれるとともに、初代修道院長だった聖ドミンゴの奇蹟の数々を具体的に知るのも、我々は日常性の中にあって神秘なしかも確かな神の恩寵の世界をより身近に感じることになるでしょう。

 
   (勝峰昭 執筆日2014531日)

 

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